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哀悼 岡田多加秀さん [介護と日常]

書こうとしても、言葉が寄ってこない。整理されていない本棚をボンヤリと眺めていると読んだ記憶もない汚れた文庫本の背表紙が目につく。「神とともに行け・弔辞大全2」開高健編・新潮文庫。1を探してみたが見つからない。目次を開け鬼籍に入った名をつらつらと眺めていて一番最後の名前に目がとまる。寺山修司。昭和58年没と記されている。ページをめくると享年47とあった。ああ、彼はそんなに若くして死んでいたのか・・。弔辞を書いているのは唐十郎。

「おぼえていますか。二十代で、あなたが住んでいた高圧線の真下の家を。
そこにおじゃました時、あなたは、一冊の本を、後の頁から読む男の話をしましたね。」

なるほど、開高健編のこの本の最後は寺山修司でなくてはならなかったわけだ。

寺山修司が九条英子と共に不意に目の前に現れたのはいつのことだったか。寺山の顔はこれ以上ないというほど生気がなく、土気色の下から死を思わせるような青白さがまだらのように浮き出ていた。初めて見た寺山修司はずいぶん大柄だった。頭が前の方に落ちてしまいそうになるのだけを支えるように首を前に折り、唇を尖らせていた。もうその頃彼は唐十郎が書いたように、めくり始めた書物の終わりから、最初の章にたどり着いた頃だったのだろう。

岡田多加秀さんが初めて私の目の前に現れた頃のことを思い出そうとする。それは小豆島だったのか、どこだったのか。寺山修司とは正反対の、羞恥を背後に秘めながらも健康と元気こそが獲得すべき思想なのだと言わんばかりの堂々たる体躯の青年だった。あれからもう二十年以上たったはずだ。
その後松江と京都と離れていても、距離を感じさせない彼の気配りと丁寧なフォローで、顔見知りから友人となり、切っても切れない同志的存在となっていた。単なる精神的な繋がりではなく、妻が倒れる直前に私が立ち上げた新会社の柱となる事業の企画立案は彼との共同作業で作り上げたものだった。

舌癌であることを彼から打ち明けられたのは昨年の夏であった。彼はいつものように「全然大丈夫ですよ〜。すぐに復帰しますから」と言って舌に出来た小さな癌を切除するために入院した。そして、言葉通り十日ほどしたら「(癌組織の切除は)完璧です。復帰しました。」と連絡が入った。驚きと共に小さな不安がよぎった。その年の暮れ、わが家に訪れた岡田さんから術後の抗癌治療は受けてないことを聞いて驚いた。私は誰かが臨床医学は素人が口出せるものではないと言っていたことなどを例に出し、自分の兄の悪性リンパ腫のことや癌で亡くなった母のことなどのことを話した。だが、岡田さんから、五年前に癌で亡くなった姉の治療に際して、現代の癌医療に対して持った辛い疑問と不信を聞くことになった。そして、小さな不安が的中したかのように、すでに癌が全身に転移している事を打ち明けられた。彼が選んだのは癌と共に生きるということ。「癌と闘う治療はしません。自分の自然治癒力を高めるような自分にあった民間療法を探しつつ癌とつきあっていきます。」と彼は言った。私にはその意志を翻意させることは出来なかった。その後ごく身近な会社関係者を除いて、周囲には彼が全身を癌で蝕まれていることは微塵も感じさせなかったようだ。

年が明け、四月に家を訪ねてくれた時、私がつくったカレーにサービス精神旺盛な彼は大げさに感動してくれた。体の抵抗力を高めるらしいスパイスや食材を入れたことに彼流の感謝を表してくれたのだった。だけどこの時私は、彼はこの夏を越せないかもしれないとふと感じたのだ。そして、彼は私がそう思ったことを多分、察した。いつものおどけた調子ではなく少し暗く沈んだ意志的な声で「大丈夫ですよ。まだまだ」と前後の脈絡なく言葉を発した。
五月の連休に、彼が愛した隠岐で十年ぶりに再開される大会に行かないかと誘った。十年前。最後となったその大会に彼とチームを組んで出場し、私たちのチームは三位となった。私は再開の記念に今度も一緒に出ないかと。彼は一瞬暗いまなざしを私に向けながらすぐに表情を元に戻し、是非出ましょうと頷いた。この大会で彼はトライアルでは生涯初めての優勝を獲得し、私は二位となった。勝敗が評価を分ける大会ではないことは了解していたが、十年前と同じく私たちは真剣だった。これはスポーツに対するマナーである。後日賞品として送られてきた驚くほど立派なアワビや岩ガキそしてサザエに電話で互いの健闘をたたえ合った。

七月の半ば過ぎ、今まで聞いたことのない悲壮な彼の声を電話の向こうに聞いた。「体の調子が悪いんです。しばらく連絡できないかもしれません。でも、大丈夫です。必ず復帰しますから」と。
八月三日。隠岐のごく親しい友人と共に彼が入院している病室を訪ねた。彼は言葉も発することが出来ないほど衰えていたが、それでも体を起こして私たちに何事かを語ろうとした。目はまだ生きられることを信じている力を宿していた。五月の大会で優勝したことなどを話していると、それを知らずに驚いている娘さん達にいたずらっぽい視線を向けて親指を立てた。これが生きている彼との最後の別れとなった。岡田さんらしい姿だった。

八月十三日朝。隠岐で夏休みを送るために私は家族と共に鳥取の境港にいた。島前周り4時間の船旅は妻には少々重荷だったので子供と妻を高速船に乗せ、私はその高速船の離岸を見送っているときに携帯が鳴った。マースの杉原君からだった。そして岡田さんの死を知らされた。妻達を乗せた高速船は船首を隠岐に向け加速を始めようとしていた。私はいたたまれなくなり、車であてもなく境港の街中を走り回った。

八月十七日、葬儀の日。岡田多加秀 享年48  葬儀に参列して私は彼について知らなかったことを多く知ることになった。私がよくからかった彼の地域へのこだわりや地域に密着する仕事ぶりに関して彼からの想像を超える答えがそこにあった。それは少し嫉妬するくらいであった。参列していたのは錚々たる地元の経済界はおろか放送界、教育界、仕事仲間、そして彼の友人達。社葬でありながら、参列した人たちほとんどを覆った深い悲しみのこんな葬儀を私は経験したことがない。

岡田さんは、地元との関係に私が少し嫉妬したのと同じように、地元の人々には私たちとの繋がりを少し嫉妬させるような存在だったのだろうと思う。
「駄目ですよう〜、それじゃあ」「大丈夫ですよう〜。やりましょうよ」彼の口癖は、地域にも私たちにも向けられていた。
彼は本の頁を最後から読んでいくような人生ではなかった、と思う。だが彼の健康と元気の思想は、地元にも中央に対しても微妙にバランスさせざるを得ない危うい均衡の中に立っていたのだろう。堂々たる体躯の舌先にふいに現れたわずか数ミリの癌細胞は、すでにその時彼の生命の最後の発露だったかもしれない。

岡田さんの死をこのブログに書くことは迷った。トライアル関係者のほとんどはこのブログを読んでいないだろう。また、生前の岡田さんもこのブログのことは知らない。いったい誰に伝えようというのだ。だけど、私は今ほんとうのお別れを言うための場所をここしか持っていない。
もうお別れです。さようなら岡田さん。知り合ってから今まで、けっして表には出なかったけれど私やトライアルに対するあなたの献身的な支えに感謝します。合掌。


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コメント 12

chihiro2

別れは辛い事だけれど、良き友と素晴らしい時間を共有されたことを
羨ましく思います。
by chihiro2 (2006-08-28 09:59) 

シマリス

解っていらしたとはいえ親しい友人の発病されたお姿、そしてその死。
miyataさんらしい格調高い文章で充分私達にもその悲しみ、若すぎる死への無念さが伝わってきます。
それもせっかくの家族旅行に最中でしたのに・・・
しかし素晴らしい友人がいらした、それも周りの人達が嫉妬するくらいの関係で。
生きていくということはこんな経験もしていくことなのですね。
どうぞこれ以上お気持ちをお落としになりませんように。
by シマリス (2006-08-28 11:38) 

練習菌

KRPの郵便受けには岡田さんの名前が書かれていましたね。
次に見る時には消えているかも?と、思わず写真を撮ってしまいました。
Iターンの話をしたとき、「見つかるまでさがします!」とおしゃってくれた意気込みが凄かったのは、彼も隠岐を愛していたからなんでしょうね。
今は天国で企画を考えているのかなあ?ご冥福をお祈りいたします。
by 練習菌 (2006-08-28 12:00) 

Silvermac

親友のご逝去を心からお悔やみ申し上げます。ネット検索で故人の業績も知ることが出来ました。まだ若いのに、惜しい方を失いました。昔の悪ガキ仲間との交流を楽しみに帰ってきましたが、酒飲みだった彼らは、この世にいませんでした。
by Silvermac (2006-08-28 16:05) 

春に岡田さんとお仕事でご一緒させていただいたときには、そんな状態だとはおもいもよらぬことでした。驚きました。その昼食のときに初めてゆっくり、トライアルの話もできました。「いつも隠岐では迷惑ばかりかけていてね。」「私も隠岐の完走が最終目標なんです。」などと。いずれ隠岐でお会いする機会もあると思っていましたが、残念です。しかし、同い年だったとは。。。岡田さんの分もしっかり遊ぶことにします。
by (2006-08-28 19:42) 

honnoridesu

こんばんわ♪
何度かコメント書こうとやって来るのですが、言葉が見つからずにいました。
私のブログのコメントに書いていただいた様子で、大切な方を亡くされたのだろうなと思っていました。
どうぞ、気落ちをなさりませんように…
ご冥福をお祈りいたします。
by honnoridesu (2006-08-28 21:02) 

早

年一回隠岐で会い、話をして共に山や沢を楽しんでいた(苦しいけど)岡田さんが亡くなったのを聞いて信じられませんでした。
私より年下なのにもう逝ってしまわれたなんて。
今年もいつもの物好き達で隠岐を楽しもうと思っていたのに。
by 早 (2006-08-28 23:17) 

左膳

親友のご冥福をお祈りします。
他人が嫉妬するような親友の死は、とても辛かったことでしょう…。
それにしても48歳の死は若すぎる…
by 左膳 (2006-08-29 10:59) 

miyata

chihiro2さん、シマリスさん、SilverMacさん、ほんのりさん、左善さん、こんばんは。コメントありがとうございます。自分のブログに書かないでおこうと思ったのですが、ほっとくと新しい円形脱毛症が出来るかもしれないと、書いちゃいました。心温まるコメントありがとうございます。
by miyata (2006-08-29 18:26) 

miyata

菌さん、yoshさん、早さん、こんばんは。
まいったよねえ。
今年の隠岐は岡田さん追悼で気合いを入れる〜(;~_~)9 ググッ!
by miyata (2006-08-29 18:37) 

タケノコ

岡田さん、良き親友であられたのですね。
私もこのような生涯の友をもちたいものです。
ブログの存在は知らなくても、きっとmiyataさんの思いは、
天まで伝わっていることでしょう。
by タケノコ (2006-08-31 22:52) 

miyata

タケノコさん、こんにちは。
ありがとうございます。彼の死はちょっと辛かったです。
by miyata (2006-09-01 13:23) 

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追悼文集を開くとき(坂のある非風景 2006-08-31 01:36)

かれが平気な顔をして、あたりまえのようにしずかに達成した文学思想は、どんなに評価しても、しずぎることはない比類のないものだった。被差別と差別の問題は中上健次の文

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