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退院しました [介護と日常]

今日5月1日、退院した。
家に帰ると妻は微笑みながらベッドに横になるとそのまま眠りについた。傾斜していた踏み台が元に戻ったかのような充足感を感じて肩の力が抜けた。
いずれすぐにどちらかの方向に向けて傾くであろうが、復元力があるかぎりその場所に立っていられればよい。と、思えた。

入院していた妻が言葉と表情を失ったのは三週間を過ぎた頃だった。病室に行っても表情を変えない。手には痛々しい点滴の後が増えていった。
低ナトリウム血症だった。心配した理学療法士や作業療法士がなんどか部屋にやってきた。ほとんど伝達ができずにリハビリが進まないという。
4月15日の相談会のときに月末に退院したい意向を伝えたのは、妻の状態を把握してもらえればまた意欲的にリハビリに復帰できて少しは成果が上がるのではないかと思ったのだが、むしろ悪化する一方だった。食事の塩分は6gと指定されており、さらに投薬として塩化ナトリウムが加えられた。持ち込み禁止といわれて食べものを持ち込むことはできなかったがノリの佃煮やふりかけを持ってくるようにいわれた。

4月25日月曜日。ようやく顔に精気が戻った。だが表情もなく一向に言葉を発しない。連れて帰れる状態ではなかった。食事は相談会のときにミキサー食をやめて普通食を食べさせてくれるように頼んだがおかゆに変わっただけだった。入れ歯は入れてくれなかった。
26日夕食後病院の玄関にハナミズキが咲いているので見に行った。気分転換になるかと思ったからだ。この病院は病院の外に出るのは禁止だった。最初の頃詰め所に散歩の許可をもらいに行くと駄目だと言われた。前のリハビリ病院はどんどん連れて行ってくれといわれたのに。だから、無視して病院の外に出た。暗くなったので玄関脇にある談話スペースでコーヒーを飲みながらずっと話しかけているとかすかに口を動かしているのに気がついた。口元に耳を近づけるとやっと聞こえるような声で話をしようとしているのだった。
「朝、琵琶湖に行ってきた」
それはよかった。今日は気持ちよかったんじゃない?
「気持ちよかったよ」
なにで行ったの?
「タクシーで」
そりゃ贅沢やないか。妻は少ししまったというような顔をしてかすかに笑った。
今何がしたい?
「歌が歌いたい」
これはやはり退院させなければと思った。

4月27日にやはり当初の予定通り退院させるというと少しの準備があるというので今日の退院になったわけだ。ひとりだけ見送ってくれた看護婦さんに妻は瞬間芸の笑顔を見せ、病院を後にした。
家についてオムツを見ると尿取りパッドを二枚重ねてあった。尾てい骨の上部に褥瘡があった。薬として塩化ナトリウム(塩)が19日分袋に入っていた。まあこの病院では妻のような認知症患者に対するノウハウがなかったのだろう。自分で入れ歯が入れられなければつけてはもらえない。寝たきりにならないために厳しく管理され、車椅子に前のめりになって倒れそうになっていてもベッドには横にさせてもらえない。スパルタである。妻はきっと抵抗することに決めた。だから、話さない。相手の言うことも聞かない。置かれた状態を耐える。空想の中で自由に琵琶湖やかつて自分が行ったことがあるところを追いかけていたのだろう。と、思った。

退院祝いは自家製ちらし寿司に自家製にぎり寿司のお寿司オンパレード。それにお刺身。夕方ベッドから食堂に移動するとにこやかに自分でコップのビールを口に運び一口だけ飲んで、それからたくさん食べた。まだ大きな声は出せないが耳を近づけなくても聞こえる声で子供達と話をした。そして10時過ぎにベッドに行き、横になった途端に寝息を立て始めた。
これからまた、いつもの日々が始まる。いずれどちらも朽ち果てる。そのためにまたいつもの日々が始まる。何度も傾くだろうが、傾きを感じられる踏み台に立っていられればそれでよい。
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※約二ヶ月半ぶりに一家団らんの夕食
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