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寝違え [自分のこと]

昨日の朝、起きあがろうとしたら首が痛くて頭を持ち上げられなかった。どうやら寝違えたようだ。両手で支えながらなんとか起きだしたが、どうにもならない状態。薬を塗ったり、鎮痛剤を飲んだりしながらなんとか今日一日を終えた。明け方冷え込んでいたのかもしれない。寝る前に、そろそろ半袖から長袖にしなければと思いつつそのまま寝たのがいけなかったのだろう。ロキソニンを飲むと錐で刺されるような痛みは少し和らぐが、眠くなって頭が朦朧とする。おまけに胃が痛くなってきた。ブスコバンを飲む。最悪パターンだ。たぶんこのまま一週間は悩まされることになるだろう。そして、気にならなくなるのは二週間後か。
炊事・洗濯・掃除も久々の大がかりなウンチ騒動(よりによってこんな時に(-_-メ))もなんとかこなした。ロキソニンを飲むために両手で頭を支えながら起きだして、薬が効き始めたのでとりあえずこれを書いている。
しばらく、皆さんのところに行けないかもしれません。が、たんなる「ギックリ首」ですからご心配は無用です。
タグ:寝違え
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体力測定 [自分のこと]

今日病院に行って体力測定をしてきた。口にマスクをつけて、体に一杯センサーをつけて自転車をこぐ。初めての体験。プロのアスリートみたいだ。こぐ自転車は徐々に負荷がかかるようになっていて、とりあえず心拍が145に上がるまでこぎ続けるというテストだった。10分までこぐというのはまず無いから、それほどきつくはないということだったが、なんせこの5年間まったくといってよいほど運動をしていない。日常で体を動かしているのは家事一般と介護だけ。いささか緊張しながら上半身裸になって自転車にまたがった。だいたい1分間に55回転くらいのペースを守るように指示される。
6分を超えたあたりから、急にペダルが重たくなってきてなかなかきつくなってきた。もう145くらいに脈拍が上がっているのではと思ったがまだ100ちょっと超えたあたりで安定している。8分を超えると上半身を揺らさないとこげなくなってきた。モニターを見るとまだ130くらい。きつくなってきたかと問われたので、きついと頷くとじゃあもう1分だけ頑張ってと言われて最後はもがいた。そうしたらちょうど9分を超えたところで145に到達。終了した。

自転車から降りたら膝ががくがくした。ぎっくり腰で10日ほどほとんど歩けなかったからその影響もあるだろう。データをチェックしている医師がモニターのグラフをチェックしながら「うーん、やっぱり運動能力がちょっと落ちてるなあ」ともらしたので、年齢でいうと60歳とか70歳くらいですかと質問すると医師は笑いながら「そんなことは全然ないよ。ただ、データを見る限りは頑張ればもっと頑張れるようだから、ようするに運動不足なんだね。」
ちぇっ、そんなことはわざわざこんなしんどいテストをしなくても最初からわかってるわいと心の中でつぶやく。正確な分析結果は今度の25日に知らされる。年の頃はほぼ私と同じこの医師。最後に「運動は大事だよ」と笑いながら言われて、自分のその腹を何とかしてから言えよと思いつつ病院から帰ってきた。
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バカの自覚 [自分のこと]

近所に一軒の本屋さんがある。中心街から少し外れた町中ではそれなりに大きな本屋さんだ。結婚した頃にもあったから京都でも古い本屋さんかもしれない。一階は新刊書と雑誌と実用書、及び文庫とか新書で中二階はコミック。店にはいるとエロ本(雑誌に写真集の類)が所狭しと並んでいる。雑誌の棚をほとんど占領し、最近実用書の棚にも浸食を始めている。これは店主の趣味なのだろうか、それともこの町に需要がそれだけあるのだろうかとちと不思議になる。たまにしか行かないが買い物帰りに立ち寄って毎月買う雑誌がある。内容が変わってしまってもう止めようと思いながらずるずると買い続けているパソコン雑誌「マックパワー」と「MJ無線と実験」の二誌。あとこれらの雑誌を買うついでに行き当たりばったりに買う雑誌。新刊本はあまり充実していない。話題になった本はほとぼりが冷めた頃に入ってくるようで、不思議な時期に平積みになっていることがある。文庫や新書もあるがとても充実しているとは言い難い。が、フランス書院の文庫はほぼ揃っているから、やはり店主の嗜好がかなり色濃く出ているのだろうと推察している。時に雑誌以外に新書を買うときがある。期待して買うというよりも暇つぶしに半日もかからずに読める物をと求める。その中で思わぬ収穫だったと思える本に出会うこともある。
最近では、「生物と無生物のあいだ」-(福岡伸一著・講談社現代新書)がそう。帯の推薦文によしもとばななと茂木健一郎(最近は見なくなったが最初の頃NHKのプロフェッショナルという番組はよく見ていた)の名前が見えたので買ったのだったが、読んでよかったと思えた本だった。

一昨日そんな感じで件の書店で一冊の新書を買った。「バカのための読書術」-(小谷野敦著・ちくま新書)という本。この著者は新潮社から発行されている「考える人」という季刊紙に連載されていた「売春の日本史」が面白くて覚えていた(この連載で自分がかなり傾倒した網野善彦がケチョンケチョンにけなされていて驚いた)。

で、この本だが救われたというか、肩の荷がおりたというか力が抜けた。そもそも私は昨年、一念発起して三好春樹の本を読み解くために、彼の著作で触れられている書物を全部読んでやろうと思い立った。それはフーコーであったりレヴィー=ストロースであったりした。ブログにもそういう決意を恥ずかしげもなく書いたりしていたのだ。ところがこれが間違いだった。三好春樹の本はもともと難解さとは無縁の内容で、時には嚙みくだきすぎるのではないかと思ったりもしていたのだ。なのにそう思ったのは、かつて読もうとして読み切れなかったという苦い思いが自分のどこかにあったからに違いない(これについては、妻が倒れてからそれ以前とそれ以降で自分の自分の意識が断絶してしまったというかある種の失語状態を抱えて今に至っているという感じが拭えないでいる)。書棚から引っ張り出してきたフーコーには読み始めた当時の意気込みの証というか挫折の印があちこちに記されていてなんだかトラウマに触れるようで嫌な気がしたが、今なら読めるだろうと勘違いしていた。

バカのための読書術にはこう書かれていた。難解な本が理解できないバカは歴史を読めと。そういえば、この10年ばかり歴史物や歴史小説(民俗学的なものも)が突然面白くなって暇なときにはそういう類の本ばかり読んでいた。これはこれで目を見張らされるような体験を何度もした。視野が広がったような気もしていた。だから勘違いしたのだと思う。ところが手始めにと手に取ったフーコーが読み切れない。要するに私には難解すぎた。諦められないで入門書も読んだ。「フーコー」-(桜井哲夫著。講談社刊)など。これは面白かったがいざフーコーに戻ってもやはり読解できない。すっかり諦めてしまった私は、Mさんのブログで引用されるフーコーとMさんの文章を読み解こうとすることで自分を繋いでいた(これもなかなか難解だが…)。要するに私は単なるバカだったわけだ。するとバカはバカなりに10年前くらいから私は正しい道を無意識に歩んでいたことになる。小谷野敦はいう。バカは歴史を読めと。読みながら何度も吹き出して笑った。ちょっと扇情的な書き方をする傾向があるけれどもある種の切実さと誠実さも滲んでいて(それがなんだかよくわからないが、「もてない男」とか「恋愛の超越」とかそういう著書もあるようだし、そういう方面にかなり真摯に向き合っている人かもしれない。あとがきで自分でも古典的教養人と呼ばれると書いているが、ちょっと時代がかった硬派風教養人的なところがあるかな)面白かった。

少し気分が晴れた気がして久しぶりに書いているが、なかなか浮上するきっかけが見つからない。何をやるのも億劫で、自信もなく自分が嫌で嫌で仕方がない。まるで憂鬱な少年期に戻ったようだ。ここまで長引くとつい他に原因を求めたくなる。だけど、新しく始まったNHK朝の連ドラを見て他愛もなく喜んでいるから、さして深刻な状態ではないのかもしれない。


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退院報告 [自分のこと]

退院しました。(3月9日修正)
副鼻腔炎の手術は、予想よりうんと辛かった。時間は約一時間ほど。局所麻酔だったので医師が説明しながら進めるのだが、途中で後悔した。
手術は鼻中隔矯正と蓄膿の二本立て。鼻中隔矯正術の時、軟骨の削除は驚いた。軟骨だからというイメージとはかけ離れたボキボキ、パキパキという、まさに骨が折られていく脳髄に響くような音に気絶しそうになった。蓄膿の手術では、鼻タケを「切除」というイメージとはこれまたかけ離れていて、骨にくっついているものをこそげ取っていくようなゴリゴリという音が響き、さらにノミとハンマーで削られ、ドリルで骨の孔を広げられる。

手術後、鼻の中にタンポン(ガーゼ)を詰められた。鼻から全く呼吸が出来ない。これが辛い。口の中はカラカラになってひび割れしそうになる。水でうがいをして湿り気を与えても追いつかない。それから飲み込むことがこんなに難しい事だとは思わなかった。嚥下しようとしても口を閉じてしまうと鼻から空気が抜けないために口の中はいわば真空状態になり食道に落ちていかない。隙間がないと駄目なのだ。慌てて口を開けると含んでいた水が飛び出す。慣れるまでに苦労した。鼻の奥に物が詰められているからか、目が開けづらく、開けても涙が溢れてきてしかも痛いものだから長く開けていられない。

手術から三日目に鼻に詰めてあったタンポンを抜いた。これは手術より辛いという人が多いのだと看護士さんに聞いていたから相当に覚悟していた。覚悟より少しだけ辛かったが落差が少なかった分だけ耐えられた。驚いたのはその詰められていたガーゼの量。片方に十五センチ(四方?)強の長さのガーゼがなんと四枚も出てくるのにはまいった。せいぜい二枚くらいかと思っていたのに、三枚目を抜いてから「はい、これが最後ですよ。もう少しの我慢ですからね」といわれてギョッとした。これが覚悟との落差の分だった。普段、自分の身体にある空洞に思いを馳せることはほとんどないと思うが、鼻の穴奥に広がる自分の身体の見えない一端を垣間見たような不思議な感覚だった。この処置がすんでからやっと地獄から生還してきたという実感を持った。が、ずっと綿球を入れていなければならない。だけど綿球は空気を通すし食べるのもうんと楽になった。目も開けていられるし、涙も出てこない。また、なんだか頭がすっきりしたような感じはする。肩こりはさらに楽になった。マッサージをした後のように世界が明るく見える。

誤算だったこと
睡眠:ひたすら寝てやろうと思っていた。入院日と翌日の手術までは実際にひたすら寝た。だけど術後は鼻が詰まった状態で熟睡できない。タンポンを抜いた後も綿球が鼻に入っているので快眠とは言い難い。夜中に何度も起きる。綿球を抜き鼻奥に通り抜ける空気の新鮮さを味わいつつ、新しい綿球を詰める毎日だった。
治療:手術が終わり、腫れも引くとそれでお終いかと思ったが、この後治療が三ヶ月も続くことを知って脱力した。しかも、鼻に詰める綿球は今後二ヶ月に渡って継続しなくてはいけないし、激しい運動も禁止ということで、思わず主治医を睨んでしまった(苦笑)。
読書:積んであっただけの本の中から3冊だけ選んで持っていった。これはしかし、余計な荷物となった。鼻が詰まっていると集中力もなく、読書どころではなかった。
嗅覚:匂いが全然わからない。匂いがわからないと食べ物の味がおかしい。甘さとか酸っぱさとか単純な味はわかるのだが他はなんだか単なる刺激しか感じない。舌がまるで機械のセンサーのようだ。

勝手に面白いと思ったこと
夢の話し:入院した部屋は四人部屋。斜め向のベッドには80歳をゆうに超えたお年寄りがいた。この方は喘息のようで、夜中に咳き込んだり苦しそうだった。ふだん呼吸する時も気管支に刺激を与えないようにするためか、ハーウとか、ハーアとか声を出しながら大事に息をされていた。お年寄りは耳が遠いらしく、毎日見舞いに来られていた奥さんとの会話が面白い。しかし、奥さんにはとてもやさしいご主人だった。
5日目の消灯後のこと。私はすぐにうとうとし始めた(ようだ)。夢を見た。夢の中で激しく娘と言い争いをしている。激しく怒りつつ、だけど夢の中で自分の怒りがちょっとこれは異常ではないかと心配になって自分の怒りの原因や相手がなぜ娘なのかを探ろうとしていた。しかし、制御も出来ずついに大声で「ばかやろうー!」と怒鳴ったところで飛び起きた。そうしたら、なんと斜め向のお年寄りが普段の様子から考えられないような、くっきりとした響き渡るような声で「ばかやろー!」と怒鳴っていたのである。じっと息を殺して様子をうかがうと、どうやらお年寄りも寝言を言っていたようなのだ。
となりのベッドの若者に「俺、今寝言でばかやろーと言った?」と訊ねたら「いいえ、言ったのは前のおじいさんです」という。すると、私は老人の大きな寝言を聞いた瞬間に、ほとんどディレイタイムもなしに娘と言い争いをして憤怒に駆られて怒鳴ったということなのだろうか。
普段は苦しげで小さな声でしか話さない、しかもとてもやさしい会話を奥さんとしているお年寄りのあの怒りははたしてどこから誰に向けたものなのかと不思議に思いつつ、ひょっとして夢の中で私とお年寄りはシンクロしていて、実は私の怒りがお年寄りに大声の寝言を言わせたのかもしれないと思ったが、確認はしなかった。


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思い出したこと [自分のこと]

夕食後、妻と二人でテレビを見ながらチャンネルを探していてNHKBS2の映画に目がとまり、そのまま二人で見てしまった。イギリスの映画で「アイリス」。
とても良かった。日本の映画とちょっと視点が違うなあという気がする。日本の映画の認知症ものはどちらかというと、突然認知症と診断され、搦め手がその現実をどう受け止めたらよいか思い悩み、やがてその現実を受け止めて二人で生きていこうとするところで終わる感じがするのだが、この映画は違った。そこから先が描かれていた。だけど、結末はよく理解できなかった。

ところで、ようやく方向性が見えてきたと書いたところで、取り組んでみたいテーマに接近するために触れざるを得ない範囲が意外に広いことに気付かされ、その準備体操をし始めているところだが、最近あることを思い出した。
思い出したのは高所恐怖症になった瞬間の事と、それから私はどうやら過去に今でいうところの「パニック症候群」に罹っていたらしいという事だ。

高所恐怖症になったときのことは、突然あざやかに思い出した。それは、高校に入学したすぐ後に(まだ四月だった)、研修だったかなんだったか(高校でまさか遠足はないだろうから別の名前がついていたと思うが)高知の五台山にある展望台の外側にあった螺旋階段を上がっているときに、突然身動きがとれなくなった。螺旋階段には蹴込み板(裏板)がなく、ふと階段の踏み板から目線をあげたときに空中に飛び出してしまったかのような錯覚を覚え、恐怖と目眩で引きつった。この事をきっかけに高いところが駄目になってしまった。この頃母が末期癌で死を待つばかりの時であり、しかも入院していた病院が五台山から見えていたという不安定な時期が高所恐怖症を呼び寄せたのかもしれない。それまでそういう兆候はまったくなかった。

もう一つ鮮明に思い出したのは、二十代の後半、四条河原町から乗った阪急電車の中でのこと。本社に行くために同僚の女子社員と電車に乗った。その区間は地下である。電車が河原町を出てすぐ自分の異変に気がついた。汗が噴き出すように出てきて息が苦しくなった。全身の力が脱力したようになり吊革で自分を支えるのも難しくなった。同僚が気がついて次の烏丸駅で降ろしてくれた。ところがホームに降りてしばらく座っていても回復しない。意識が遠くなっていくようで言葉を出すのもおっくうになった。一緒にいた同僚は小柄だったが気丈な女性だったようで、私は彼女に抱えられるように駅から出てタクシーに乗せられた。この時は苦しくなかったけれども意識が遠のいていくのがわかった。どこでも良いからとにかく病院へと叫ぶように指示する彼女の声は聞こえていた。死ぬかもしれないと思ったが不思議と妻や子供のことは思い浮かばなかった。とても失礼な話だが私を助けようとしてくれている女性の「miyataさん、しっかりして!死んじゃ駄目よ!」とかひっきりなしにかけられる騒々しい声から解放されるために、はやくどこかの病院に着いてくれたらと願っていた。「心臓が止まってる!運転手さん、あそこの病院に行って!」と彼女が叫んだとき、ああ、病院に行ける、良かった・・と、安心したとき運転手が「お客さん、あれは犬猫病院ですよ」という声が聞こえた。「どこでもいいのよ!早く行って!」と彼女の声を聞いて、ああ、これは死ぬなと思った。するとシャッター膜が閉じるように光の輪がシューッと閉じていって記憶が無くなった。次に気がついたときには、寒々しい無機質な部屋のベッドに寝かされており、医師と看護師が何もせずに私をジッと見下ろしていた。私が気がついたのを確認してなにやらボソボソと独り言のように喋っていたのを覚えている。次に覚えているのは、同じ部屋に寝かされたまま妻が私の側に医師と共に立っていたことだ。それから、冷たい部屋からベッドごと運び出されて病室に入ってから、はっきりと意識が戻った。その病院は本社の近くにある救急病院だった。医師が部屋に入ってきて説明を受けた。「突発性頻脈」で、心臓の脈が急に速くなって空振り状態になっていたのだという。原因はと聞くと「自律神経失調症」だろうということだった。一時間ほど休んでから病院を出て仕事に戻った。タクシーに乗った駅から病院までわずかの距離であり乗っていた時間は10分ほどだと思うが、ずいぶん長い旅をした気分だった。

しかし、ほんとうに困ったのはこの後だった。とにかく電車に乗れない。特に特急は駄目だった。地下鉄や地下街はとんでもない。エレベーターに乗れない。車で高速に入れない。という状態が半年以上続いたと思う。まず、電車のドアが閉まると途端に心臓が早鐘を打つように暴れ出し、息が苦しくなってくる。冷や汗が吹き出してくる。出張で大阪や東京に行くときはとにかく各駅停で行く。それでも一度は汽車から降りた。車なら大丈夫かと思ったが、カーブでガードや防音壁が近付くと駄目。ある時、どうしても飛行機でなくてはいけないとき、デッキから離れて滑走路に向かう途中で下ろしてくれと席を立ち、座席に無理矢理座らされて頭から毛布を被せられた事もある。到着した空港のソファに毛布にくるまってボロ雑巾のように寝た。会社の同僚達には隠れて何度か病院にも行ったが、どこも代わり映えせず人知れず悩んでいた。同僚達にとって私は元気印、肉体派の典型だった。ほんとうに元気だったのだ。
結局この症状からどうやって、いつ解放されたかの記憶は曖昧だ。ただ、ある時から休みの時に訓練を課したことは覚えている。電車に乗る訓練。何度も何度も京阪電車に乗り大阪と京都を何往復もした。各駅停車から準急、最終目標は特急にのって京都・大阪を往復すること。
これで死んだら仕方がないと、なんだか後ろ向きのあきらめを自分に言い聞かせていたように思う。
初めて海外に行ったとき、南回りの各駅停のような便を選んだのが34歳の時で、運賃の安さの魅力もあったが若干まだ不安を抱えていたような気がする。翌年行ったときには北回りに乗っているからこの辺りでほぼ完全に払拭していたのだろう。今から思うと大事な事は、死んでいたかもしれないけど、死ななかったということだ。それを本能的に知っていたのではないかと思う。
ちなみに、今の私は自分で高所恐怖症だとつい言ってしまうが、高いところは苦手だが恐怖症というほどのこともないような気もする。が、ゴンドラとかリフトはやっぱり非常に怖い。
余談だが、この事があってすぐ妻は私に保険をかけた。この現実的な判断に私はいささか抵抗を感じた。その後何度か怪我や病気で入院した時は保険のお世話になったようだが、勤めていた会社を閉鎖されたとき解約した。ちょっとだけほっとして解放された気分だった。

どうしてこれらの事を思い出さなかったのか不思議で仕方がない。必要でなかったといえばそれまでだが、どういう理由があってその記憶が古層にしまい込まれたのかと考えると、なかなか難しい。また、どうして今この時期に思い出したのか不思議だ。ま、とりあえずこういう疑問は性急に結論を出さないように、あたためておこう。

うーん、ちょっとつまらない話だったかな。


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ちょっぴり内省的な断章 1 ー歯痛に端を発して [自分のこと]

歯痛の方は、治まるかと思ったが実はその後も悩まされている。
先週の木曜日になって痛みは奥歯から前歯に移った。上の前歯一本。翌日の金曜日が予約日だったので我慢をして病院に行った。
その日はマウスピースが出来た日だった。前歯のことを訴えたが、マウスピースを装着して様子を見てみようということで帰ったのだが痛みは軽減せず、土曜、日曜とひたすら呻吟と忍耐と脂汗の日だった。
月曜日に妻をデイケアに送った後たまらず病院へ。歯科医はきょとんとしている。レントゲンやCT撮影、触診などの結果今回は直ちに神経を取ることになった。麻酔注射が痛かったとかはさておき、不思議なのは神経を取ったのに痛みが取れないこと。ただ、薬が効いている間は痛くなくなったが、時に舌などで神経を抜いた前歯をなぞると激痛が走る。
歯痛はどうやら単純な病気ではないようだと気がついた。chihiroさんのコメントにいろんな原因があると書かれていたが、原因もさることながら自分の身体の中でなにか得体の知れないものがうごめき始めたような気がする。嫌な異和感は最初に痛くなった右上奥歯の下側の歯茎、それに前歯の下側の歯と歯茎に感じる。もう今はこれが痛みにならないように祈るしかない。痛みでイライラすると妻との生活もうまくかみ合わない。早く良くなりたい。

病気について思い起こしてみると、妻と今の生活に入ってから体調を崩したことは何度かあったが不思議なことに全部週末を狙ったように具合が悪くなる。結果救急に行かざるを得ない。週末にはデイケアもないしヘルパーさんも来ないから妻を一緒に連れて行ったりとかなり決心がいる。病気にならないことが一番。それは重々わかっている。が、自分の身体の基本的な部分の防御壁が簡単に崩されていっているように感じる。
かといって、どこか病気とか食欲が衰えたとかそうものは全然ない。痛みを我慢してなお食事を楽しむことも出来る。だからまだまだ大丈夫のはずであるが、少しだけ不安のパーセントが上昇している。

今日のニュースで。「通信白書」によると800万人をこえる人がブログを登録し、倍になったそうだ。(これは昨年から今年にかけてなのかそれとも一年遅れなのか聞き漏らした)情報を受け取るだけではなく発信する人が増えたとニュースでは言っていた。発信という言葉を聞きながら少し考えた。私にとって今のブログとは日記でもないし、不特定多数に向けて自分の何かを発信している気もないし、とか。

多分自分がそういう発信をする時は別の方法を選ぶかあるいはブログの性格を全く違う視点で再構築すると思う。時には多くの人を向こうに意見を言ってみたい衝動に駆られる時もある。でもそれは極力抑える。なぜなら自分がその考えを発信する上での根拠になる前提や考えを示したことがないし、道半ばであるという自覚もあり、それは(それを云うことは)自分のモラルに反すると思ったりする。自信がないのかと問われればそうかもしれないし、逆に歳を重ねてより内省的になったとも云える。

では自分にとってブログとはと問うと、ストレス解消の面は確かにある。だが、パソコンに向かって記事を編集するストレスとのバランスを考えてみて効率的な発散法なのか自信がない(苦笑)。最初はどぶ川のようなものだった。溜まったものを吐き出さないと壊れてしまうという恐怖感があった。実際に体は悲鳴を上げていたし、身体上に吹き出しはじめていた。円形脱毛症になったり、ひどい胃潰瘍になったり、白髪が一気に増えたりとか。どぶ川といっても全てをブログで書いてきたわけでもないしその時期は過ぎた。それから次の段階に入った今、明確な意味づけを言葉で表すのが難しい事に気がついた。

マオさんも書いていたが、介護に関して妻が何をしてもそれほど驚かなくなったし、当たり前の日常風景になった。一昨年の私と昨年の私とは違うし、今の私は昨年の私とも違う。馴れと諦めと絶望の混淆状態でもあるが自意識の過剰が抑えられている分、様々な発見をもたらしてくれるし、時間的にではないがゆとりも生まれる。ゆとりが増えた分、書こうと思えば書く事柄は増えたが以前ほどそれを書きたいとは思わなくなった。

こうして考えてみると自分自身にとってブログは当初の役割を終えたかなとも思う。だけど喜びもあることは確かだ。その存在をまったく想像すらしていない方から心温まるコメントをいただいて力づけられたり。それはわりあい心地よい世界でもある。だからといって悪いとは思わない。
ふと思いついたが自己慰撫という面はかなりある。あるいは擬似的な共同性(地域的、精神的)への凭れかかり、もしくは期待・・。うーん、あまり意味付けをしても無駄かもしれない。専門家がすでに百万言費やして語っている中身だろう。

実はある介護殺人を通じてちょっと鬱々としている。この件については後日改めて。
※これを書いている時、北朝鮮がミサイルを発射したとのニュース。NHKでドイツ対イタリア戦の途中にテロップで流される。アメリカは独立記念日。シャトルの発射成功。韓国は日本の排他的経済水域で海流調査を強行する姿勢。イタリアが延長戦後半に2点を入れて決勝へ。


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10年ぶりの隠岐・西ノ島 [自分のこと]

5月3日から6日まで、島根県隠岐郡西ノ島に行ってきました。
島後には毎年行くのですが島前に行くのは10年ぶりです。
久しぶりにあった懐かしい顔や、絶景の島を楽しんできました。今回は贅沢にも一人旅。
子供達の都合もあって妻は息子と娘が見てくれることになりました。
我が家ではこれが妻のショートステイみたいなもので、半年に一回くらい子供の協力で息抜きをさせてもらいます。
最近妻は落ち着いているので一人で出かけてもあまり気になることはなく、自分から途中で電話連絡をすることもなく満喫してきました。

なぜ西ノ島に行ったかというと、10年ぶりにある大会がこぢんまりと復活したからです。
20年前に始まった大会は私もその開催のお手伝いをした思い出深いイベントでした。
それが10回大会を機に一時中断していたのですが10年ぶりに復活したというわけです。
その頃はまだ小さかった実行委員会メンバーのお子さん達が立派に成人されて親御さん達と共に実行委員会のメンバーとして働かれていました。ちょっと感慨無量でした。
当時の委員会のメンバーさん達とは、薄くなった頭や白髪が目立つ頭をお互い笑いつつ旧交を温めてきました。
隠岐の風景を紹介します。


途中、米子自動車道で夜明け前に浮かび上がった大山。


西ノ島の名勝、国賀海岸。少し黄砂が舞っていたようで、ほんとに抜けるような空でなかったのがちょっと残念。それでも素晴らしい天気で、あっという間に日に焼けて顔が真っ黒になってしまいました。


どこを見渡しても絶景。


思わず座り込んでカメラを構えてしまいました。


西ノ島は島全体がいわば放牧場。牛さんや馬さんがノビノビと走り回っています。絶景に見とれても足下の注意は必要です。それは、ウンチです(__;)


走り去る馬の一団に「おーい、ちょっと待ってー!」と声をかけたら一頭が立ち止まって振り返りました。
ちかづいていって良い天気だねえと話しかけたら、なんだか笑ったようでした。写真はかなり離れてるようですがレンズは広角で実際は3メートルほどの距離です。


西ノ島で有名な焼火(たくひ)神社。山の上にあります。山の上から浦郷湾や海士の島が一望できます。焼火神社では、留守の社務所に上がり込んで神主さんの部屋で勝手にお茶を点てたり、コーヒーを飲んだり、多分大事に置いてあっただろう甘納豆や、干しぶどうを美味しくいただいちゃいました。まったく罰当たりです(;^_^A アセアセ…
ここの神主さんは旧実行委員会のメンバーで同い年。大変な博学の持ち主。夜の懇親会ではいろいろな話を聞かせてもらいました。今の私の関心事について知らないこともあったり、ずいぶん勉強になりました。まあ、途中でお酒が進みすぎて記憶が曖昧な部分もありますが(__;)


時々コメントくれる練習菌さんも一緒でした。彼は私たちのにわか理科の先生になってくれました。
このタンポポは日本の固有種で今では珍しいそうです。焼火神社で撮りました。


カラスノエンドウ。


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