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<title>miya blog</title>
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<description>要介護4の妻との介護&amp;どたばた生活。実際の介護には役立ちません。</description>
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<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-05-22T13:40:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-05-22">
<title>明日２３日退院します</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-05-22</link>
<description>明日２３日午前退院します。引っ越し後、ネットの工事が遅れに遅れて未だ開通していません。この間、eモバイルでネットに触れていましたが、電波が安定せずブログになかなかログインできませんでした。しばらくこの状態が続きそうです。退院受け入れの準備は、万全とは言い難いのですがなんとか片付けも間に合わすことが出来て、見切り発車です。吸痰や胃ろうへの流動食注入などの指導を病院で受けてきました。とにかく、家に連れて帰ることが出来てうれしいです。おそらく、この帰宅が最後の時間となることでしょう。大事にしたいと思います。新しい家は狭くて古いですが、静かで落ち着いて生活できます。妻もきっとすぐに馴染んでくれると思います。ネット開通後に、私が経験した最強で最悪の引っ越しなどをぜひ書きたいと思っています。金環日食、くっきりと見ることが出来ました。まず、近況報告まで。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-05-22T13:40:26+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
明日２３日午前退院します。引っ越し後、ネットの工事が遅れに遅れて未だ開通していません。この間、e<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%A2%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">モバイル</a>でネットに触れていましたが、電波が安定せずブログになかなかログインできませんでした。しばらくこの状態が続きそうです。退院受け入れの準備は、万全とは言い難いのですがなんとか片付けも間に合わすことが出来て、見切り発車です。吸痰や胃ろうへの流動食注入などの指導を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>で受けてきました。とにかく、家に連れて帰ることが出来てうれしいです。おそらく、この帰宅が最後の時間となることでしょう。大事にしたいと思います。新しい家は狭くて古いですが、静かで落ち着いて生活できます。妻もきっとすぐに馴染んでくれると思います。ネット開通後に、私が経験した最強で最悪の引っ越しなどをぜひ書きたいと思っています。金環日食、くっきりと見ることが出来ました。まず、近況報告まで。<a name="more"></a>
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<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-23">
<title>野田さん、そして和ちゃんへ</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-23</link>
<description>野田さん、あなたのお母様の死の報告は私にとって想像以上の哀切を伴うものでした。あなたとお母様の格闘の日々は、私には自分の息子を別なる次元へと導くための体を張ったお母様の戦いに見えることもありました。手を出して涙するあなたの赤裸々な告白は、お母様があなたに促した決意と勇気の姿だと思えました。野田さんのお母様。こんな事しか書けませんが、和ちゃんと書かせていただきます。安らかにお眠り下さい。野田さん、長い間お疲れさまでした。私はあなたの呼びかけた統一戦線に一兵卒として、これからも馳せ参じます。合掌。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-03-23T11:13:33+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
野田さん、あなたのお母様の死の報告は私にとって想像以上の哀切を伴うものでした。<br />
あなたとお母様の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%A0%BC%E9%97%98&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">格闘</a>の日々は、私には自分の息子を別なる次元へと導くための体を張ったお母様の戦いに見えることもありました。<br />
<br />
手を出して涙するあなたの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%B5%A4%E8%A3%B8%E3%80%85&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">赤裸々</a>な告白は、お母様があなたに促した決意と勇気の姿だと思えました。<br />
<br />
野田さんのお母様。こんな事しか書けませんが、和ちゃんと書かせていただきます。安らかにお眠り下さい。<br />
<br />
野田さん、長い間お疲れさまでした。私はあなたの呼びかけた統一戦線に一兵卒として、これからも馳せ参じます。<br />
<br />
合掌。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-17">
<title>転院</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-17</link>
<description>一昨日の午後、病院から転院先の病院のベッドが空いたので移って欲しいと連絡が入った。いつかと問うと翌日の11時にあちらの病院着でお願いしますということだった。急な話だった。一向に片づく気配が見えない引越準備の中で、いささか疲れてきていたところに追い打ちをかけられるような気分になった。炬燵の中で浅い眠りから目覚めた後、ついつい「起きた。コタツで寝てしまうと希望なんて言えなくなるような目覚めをする。」などと愚にもつかない事を書いていると吉本隆明の訃報がタイムラインに流れた。「 @47newsflash: 戦後の文学、思想に影響を与え、「共同幻想論」で知られる評論家で詩人の吉本隆明氏死去。８７歳。posted at 05:11:39」もぞもぞと炊飯器のスイッチを入れ、朝食の準備をして転院のための用意をする。朝食を済ませてから９時に家を出て妻がいる病室に行った。なんだか険しい顔をしながら目を開いていた。病院の支払いを済ませ、荷物をまとめ、予約してもらっていた介護タクシーを待つ。ベッドからストレッチャーに移る際、妻は大きく痙攣した。そして車で移動中にカーブで負荷がかかるとやはり大きく痙攣をして冷や汗をかいた。心配することはない。もうすぐ桜が咲くよ。外を見るのは久しぶりだね。早く家に帰ろう。ずっと話かけ続けた。新しい病室のベッドに移り、担当の看護師や主治医の説明や質問を受けた後仕切りのカーテンを閉じたとき、妻はようやくホッとしたような表情をした。眉間のしわも消えていた。いったん家に帰り、着替えなどを用意して夕方にまた来ると告げて病院を出た。帰宅して襲い昼食をとってからコタツにはいるとまた睡魔が襲ってきた。誰かが死んだとき、この人がなにを言うのか、書くのか、もっとも声が聞きたかった人が吉本隆明だった。友人は新聞に寄稿されたその追悼文を送ってくれたし、雑誌なども片っ端から買い求めた。そしてその本人が亡くなった時、その声を聞きたいと思う人は思い浮かべても、いなかった。いや、ネットで知り得た少数の人の声が聞きたいと思った。その少数の人たちのつぶやきをチェックしながら眠りに落ちた。目覚めると外はすでに暗くなっていた。慌てて家を出て面会時間終了間際に病院についた。妻は私の顔を認めるとすこし微笑んでくれたような気がした。追悼　吉本隆明「吉本隆明がどんなふうに世界を見ていたか、なぜか私にはよくわかっていて、それがまったくの見当外れだったとして..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-03-17T11:54:03+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
一昨日の午後、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>から転院先の病院の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ベッド</a>が空いたので移って欲しいと連絡が入った。いつかと問うと翌日の11時にあちらの病院着でお願いしますということだった。急な話だった。一向に片づく気配が見えない引越準備の中で、いささか疲れてきていたところに追い打ちをかけられるような気分になった。<br />
<br />
炬燵の中で浅い眠りから目覚めた後、ついつい「起きた。コタツで寝てしまうと希望なんて言えなくなるような目覚めをする。」などと愚にもつかない事を書いていると吉本隆明の訃報がタイムラインに流れた。<br />
<br />
「 @47newsflash: 戦後の文学、思想に影響を与え、「共同幻想論」で知られる評論家で詩人の吉本隆明氏死去。８７歳。posted at 05:11:39」<br />
<br />
もぞもぞと<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%82%8A%E9%A3%AF%E5%99%A8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">炊飯器</a>の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">スイッチ</a>を入れ、朝食の準備をして転院のための用意をする。朝食を済ませてから９時に家を出て妻がいる病室に行った。なんだか険しい顔をしながら目を開いていた。病院の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%94%AF%E6%89%95%E3%81%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">支払い</a>を済ませ、荷物をまとめ、予約してもらっていた<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E4%BB%8B%E8%AD%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">介護</a>タクシーを待つ。<br />
<br />
ベッドからストレッチャーに移る際、妻は大きく痙攣した。そして車で移動中にカーブで負荷がかかるとやはり大きく痙攣をして冷や汗をかいた。心配することはない。もうすぐ桜が咲くよ。外を見るのは久しぶりだね。早く家に帰ろう。ずっと話かけ続けた。<br />
<br />
新しい病室のベッドに移り、担当の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%B8%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">看護師</a>や主治医の説明や質問を受けた後仕切りの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">カーテン</a>を閉じたとき、妻はようやくホッとしたような表情をした。眉間のしわも消えていた。いったん家に帰り、着替えなどを用意して夕方にまた来ると告げて病院を出た。<br />
<br />
帰宅して襲い昼食をとってからコタツにはいるとまた睡魔が襲ってきた。<br />
<br />
誰かが死んだとき、この人がなにを言うのか、書くのか、もっとも声が聞きたかった人が吉本隆明だった。友人は新聞に寄稿されたその追悼文を送ってくれたし、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%9B%91%E8%AA%8C&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">雑誌</a>なども片っ端から買い求めた。そしてその本人が亡くなった時、その声を聞きたいと思う人は思い浮かべても、いなかった。いや、ネットで知り得た少数の人の声が聞きたいと思った。その少数の人たちのつぶやきを<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チェック</a>しながら眠りに落ちた。<br />
<br />
目覚めると外はすでに暗くなっていた。慌てて家を出て面会時間終了間際に病院についた。妻は私の顔を認めるとすこし微笑んでくれたような気がした。<br />
<br />
<a href="http://freezing.blog62.fc2.com/blog-entry-771.html" target="_blank">追悼　吉本隆明「吉本隆明がどんなふうに世界を見ていたか、なぜか私にはよくわかっていて、それがまったくの見当外れだったとしてもよくわかっていて、そこから語り出される言葉の意味も、だれにも説明できないほど透明だった。そのせいで吉本の発言が誤読されるとき、私ははげしく傷ついてしまう。私を傷つけた人々を私は傷つけ返さなければならないとさえ思う。一定の距離のへだたりを確保するためにはつき合わないだけではあまりにも足りない。みんな吉本隆明のことを忘れてください。」・坂のある非風景</a><a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-01">
<title>ガラス細工</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-01</link>
<description>三月になった。妻は時に薄目を開けるものの、相変わらずこんこんと眠っている。医師との面談があった。「個室にいるときよりもはるかに安定しているけれども、ガラス細工のような状態、ギリギリの状態であることは変わりない」と医師は言った。同時に転院準備を進めると告げられた。急性期は脱したという判断なのであろう。また、現状の状態で家に連れて帰ることは出来ないとも告げられた。さらに容体が安定するまで、転院先の病院で養生が必要であるとのこと。その間に、どのような環境を整える必要があるのか病院の相談員を紹介するので担当と話し合って欲しいということだった。ガラス細工という例えになにか書こうと思ったがそれは今度の機会に譲ろう。今日、病院で相談員との面談があった。喀痰吸引、経管栄養の注入などの医療処置が入るので今までの介護保険だけではカバーできなくなること。医療機器の購入などの準備や、処置の習得が必要となることなど。転院先の病院については、要望を伝えて一回目の面談を終えた。いよいよ引っ越しの準備にかからなければならない。処理に困るものがあるけれどもひとつひとつ片付けをしていく。今日は四台のモニターの処分をメーカーに申し込んだ。パソコンも処分しなければいけない。中途半端な蒐集癖がこういうところで邪魔をする。残すべきパソコンを一台にして、ノートパソコンを含むPCを九台処分しなければならない。後は衣類とか家具をボチボチ処分していけば、なんとか引っ越しが出来るのではないかと思っているが、いつもの悪い癖がでて差し迫らないと動かないというのを今回やってしまわないことを心がけるつもりだ。ベランダに残っている数少ない鉢植えは持っていく。昨年の夏よりわが家のメンバーとなったメダカももちろん一緒だ。本も少しずつ処分している。捨てるよりもと、比較的最近の全集10巻本（総額で31500円）をブックオフに持っていったら一冊100円で合計1000円だった。もう、悲しまないようにしている。逆にCDは想像以上に高く売れた。それならばと残るCDを査定してもらったら数万円になったので引越費用の足しにと全部売った。物を処分しても身軽になれるわけではないが、少しだけスッとした。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-03-01T17:58:26+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
三月になった。妻は時に薄目を開けるものの、相変わらずこんこんと眠っている。医師との面談があった。「個室にいるときよりもはるかに安定しているけれども、ガラス細工のような状態、ギリギリの状態であることは変わりない」と医師は言った。同時に転院準備を進めると告げられた。<br />
急性期は脱したという判断なのであろう。また、現状の状態で家に連れて帰ることは出来ないとも告げられた。さらに容体が安定するまで、転院先の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>で養生が必要であるとのこと。その間に、どのような環境を整える必要があるのか病院の相談員を紹介するので担当と話し合って欲しいということだった。<br />
<br />
ガラス細工という例えになにか書こうと思ったがそれは今度の機会に譲ろう。<br />
<br />
今日、病院で相談員との面談があった。喀痰吸引、経管<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%A0%84%E9%A4%8A&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">栄養</a>の注入などの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%8C%BB%E7%99%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">医療</a>処置が入るので今までの介護保険だけではカバーできなくなること。医療機器の購入などの準備や、処置の習得が必要となることなど。転院先の病院については、要望を伝えて一回目の面談を終えた。<br />
<br />
いよいよ引っ越しの準備にかからなければならない。処理に困るものがあるけれどもひとつひとつ片付けをしていく。今日は四台の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">モニター</a>の処分を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">メーカー</a>に申し込んだ。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">パソコン</a>も処分しなければいけない。中途半端な蒐集癖がこういうところで邪魔をする。残すべきパソコンを一台にして、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ノートパソコン</a>を含むPCを九台処分しなければならない。後は衣類とか<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%AE%B6%E5%85%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">家具</a>をボチボチ処分していけば、なんとか引っ越しが出来るのではないかと思っているが、いつもの悪い癖がでて差し迫らないと動かないというのを今回やってしまわないことを心がけるつもりだ。<br />
<br />
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ベランダ</a>に残っている数少ない<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%89%A2%E6%A4%8D%E3%81%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">鉢植え</a>は持っていく。昨年の夏よりわが家のメンバーとなったメダカももちろん一緒だ。本も少しずつ処分している。捨てるよりもと、比較的最近の全集10巻本（総額で31500円）をブックオフに持っていったら一冊100円で合計1000円だった。もう、悲しまないようにしている。逆にCDは想像以上に高く売れた。それならばと残るCDを査定してもらったら数万円になったので引越費用の足しにと全部売った。物を処分しても身軽になれるわけではないが、少しだけスッとした。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-25">
<title>四人部屋に移る</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-25</link>
<description>気管に挿管されたチューブがとれ、酸素もなくなった。一気にこちら側にやってきた。そして、重病患者用個室から四人部屋に引っ越した。「安心してもよいですか？」と聞くと、「安心ではなく、安定してきたので大部屋に移させてもらいました」と看護師は答えた。意識はない。だが、目を開けるようになった。呼びかけに応答はない。どこかまだ迷っているような頼りなさを感じさせるが、もう大丈夫ではないかと思う。もちろん安心はしていないし、何かが起こったときの覚悟はしている。ほっとしている。肩の荷が下りるとはこの事かと思うほど。息子が看護師に訊ねられたそうである。「今後どうお考えですか？」と。息子はきょとんとして「は？」としか言えなかったそうだ。ひょっとしたら、私たち家族があまりにもあっけらかんと喜んでいる事が心配なのかもしれない。看護師が訊ねようとした背景はよく理解している。ほんとうの大変さをたしかに理解していないかもしれないが、今の状態のままで家に連れて帰ることもとうぜん、想定の範囲である。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-02-25T07:57:06+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
気管に挿管された<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チューブ</a>がとれ、酸素もなくなった。一気にこちら側にやってきた。そして、重病患者用個室から四人部屋に引っ越した。<br />
「安心してもよいですか？」と聞くと、「安心ではなく、安定してきたので大部屋に移させてもらいました」と<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%B8%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">看護師</a>は答えた。<br />
<br />
意識はない。だが、目を開けるようになった。呼びかけに応答はない。どこかまだ迷っているような頼りなさを感じさせるが、もう大丈夫ではないかと思う。もちろん安心はしていないし、何かが起こったときの覚悟はしている。<br />
<br />
ほっとしている。肩の荷が下りるとはこの事かと思うほど。<br />
<br />
息子が看護師に訊ねられたそうである。「今後どうお考えですか？」と。息子はきょとんとして「は？」としか言えなかったそうだ。ひょっとしたら、私たち家族があまりにもあっけらかんと喜んでいる事が心配なのかもしれない。看護師が訊ねようとした背景はよく理解している。ほんとうの大変さをたしかに理解していないかもしれないが、今の状態のままで家に連れて帰ることもとうぜん、想定の範囲である。<br />
<a name="more"></a>
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<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-22">
<title>無題</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-22</link>
<description>入院してからまもなく、あり得ない三週間目が近づいてきて、ようやく変化が見えはじめた。危機的な血圧低下に対して、投入された薬に体が反応が出来ないでいた。それほど体が弱っていたわけで、強い薬を目一杯投与していたものの、このままでは心臓が持たなくなるギリギリのところで、血圧が戻りはじめた。心臓に負担が大きいイノバンという薬の量もやっと減り始めたのだが、今日その薬の投与を終えたと告げられた。血圧はそれでも100前後を維持してくれている。昨夜病室で子供達と一緒になり、久しぶりに三人で居酒屋に寄った。咳で噎せ、苦しそうな表情に甦ろうとするエネルギーを感じ取った安心からだった。やはり、生命にはエネルギーが宿っている。今まで妻は何度も入院したがそのエネルギーがまったく感じられないのは今回が初めてだった。医師から危篤が告げられたとき、医師は「むしろ、奥さんのように重篤な下垂体障害を負っておられるのに10年も生存している事実に驚いたのです。今までが本当にギリギリで生きてこられたのだと思います。1月に診させてもらったときの安定が実はそういうことだったということでしょう。私が奥さんのことを覚えているのは、下垂体障害なのに、どうしてこんなに安定しているのかという驚き、そういうことが前提にあったからです」と、言った。私はその時自分の希望を伝えることを断念せざるを得なかった。すでにその時妻は仏様のような顔をしていたのだった。外は曇っている。まだ外は寒いが、街のあちこちに春がひそんでいるのが見えはじめた。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-02-22T15:57:30+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%85%A5%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">入院</a>してからまもなく、あり得ない三週間目が近づいてきて、ようやく変化が見えはじめた。<br />
危機的な<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%A1%80%E5%9C%A7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">血圧</a>低下に対して、投入された薬に体が反応が出来ないでいた。それほど体が弱っていたわけで、強い薬を目一杯投与していたものの、このままでは<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%BF%83%E8%87%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">心臓</a>が持たなくなるギリギリのところで、血圧が戻りはじめた。心臓に負担が大きいイノバンという薬の量もやっと減り始めたのだが、今日その薬の投与を終えたと告げられた。血圧はそれでも100前後を維持してくれている。<br />
<br />
昨夜病室で<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%AD%90%E4%BE%9B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子供</a>達と一緒になり、久しぶりに三人で<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%B1%85%E9%85%92%E5%B1%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">居酒屋</a>に寄った。咳で噎せ、苦しそうな表情に甦ろうとするエネルギーを感じ取った安心からだった。やはり、生命にはエネルギーが宿っている。今まで妻は何度も入院したがそのエネルギーがまったく感じられないのは今回が初めてだった。<br />
<br />
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%8C%BB%E5%B8%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">医師</a>から危篤が告げられたとき、医師は「むしろ、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%A5%A5%E3%81%95%E3%82%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">奥さん</a>のように重篤な下垂体障害を負っておられるのに10年も生存している事実に驚いたのです。今までが本当にギリギリで生きてこられたのだと思います。1月に診させてもらったときの安定が実はそういうことだったということでしょう。私が奥さんのことを覚えているのは、下垂体障害なのに、どうしてこんなに安定しているのかという驚き、そういうことが前提にあったからです」と、言った。私はその時自分の希望を伝えることを断念せざるを得なかった。すでにその時妻は仏様のような顔をしていたのだった。<br />
<br />
外は曇っている。まだ外は寒いが、街のあちこちに春がひそんでいるのが見えはじめた。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-17">
<title>無題</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-17</link>
<description>朝から雪がちらちらと舞っている。寒い。妻は二日前より輸血が始まった。残るは人工呼吸器だけと言われていたので、まだ打つ手があったのかと逆に安心する。体が弱っていると苦しむ元気もなくなるのだと知った。咳はもちろん、発熱すら出来ない。だけど、妻は生きている。おそらく医師の予想を超えて命を繋いでいる。このまま意識は戻らないかもしれないが、3月の末に引っ越す新居に出来れば連れて帰りたいと思っている。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-02-17T16:16:45+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
朝から雪がちらちらと舞っている。寒い。妻は二日前より輸血が始まった。残るは人工呼吸器だけと言われていたので、まだ打つ手があったのかと逆に安心する。体が弱っていると苦しむ元気もなくなるのだと知った。咳はもちろん、発熱すら出来ない。だけど、妻は生きている。おそらく<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%8C%BB%E5%B8%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">医師</a>の予想を超えて命を繋いでいる。このまま意識は戻らないかもしれないが、3月の末に引っ越す<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%96%B0%E5%B1%85&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">新居</a>に出来れば連れて帰りたいと思っている。<a name="more"></a>
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</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-07">
<title>2012-02-07</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2012-02-07</link>
<description>ずいぶん長いあいだ留守をしてしまいました。突然ですが、妻は死ぬかもしれません。いま、死の隣で疲労困憊して喘ぎながら休息しているところです。二月三日午前六時五十分に、痙攣の発作を起こして病院に入院しました。診断名は「症候性てんかん」。二次性てんかんともいうそうです。血圧が低下し、肺炎も併発して危篤状態となりました。また、六日に軽い脳梗塞を起こしました。一見はおだやかに眠っているようですが、体の余力が残っていないようなのです。肺炎になっても熱を出して抵抗する元気もないということのようです。今日七日、救急救命室から脳外科病棟の個室に移りました。出来るだけ時間に制約されずに家族と長くいられるようにという病院側の説明でした。妻はいままで大きな怪我を何度も乗り越えてきましたが、さすがに今回はあまり元気がありません。てんかんの発作は負担が大きすぎたかもしれません。くも膜下出血後の患者にてんかんの発作がわりあい起きることは最初の手術後の後も聞いていましたが、この時期に起きるとはわかりませんでした。すこし予兆があったといえばありました。一月十六日、顔がすこしむくんでいるのとときどき誤嚥があり、また夜の独語が多くなりすこし呂律もおかしいのでいま入院している病院の脳外科に（最初の手術をしたところ）久しぶりに行き、脳のCTや、電解質のバランスなど全部を調べてもらいました。この時の血液検査の結果は、驚くべきもので今回も診てくれている医師が「信じられない、外来に来ているどの患者よりもいいくらいだ。下垂体障害の患者のホルモンバランスが投薬もなしに安定するなんてあり得ない」と驚嘆の声を上げたのでした。気になった誤嚥に関しては、いつも往診してくれる診療所が専門家を派遣してくれて、いろいろテストをしてもらったところ、まったく問題なしで筋肉の量も充分にありまだ若々しいので良く運動するようにとまで言ってくれました。また、前日には往診があり、妻もにこやかに医師に応対していたのでした。むろん希望は捨てていません。ただ、ゆるやかに死の方に歩んでいこうとする妻のそばにこれから出来るだけいようと思います。昨年の10月24日、子供たちが還暦の祝いだということで昔よく行った伏見区の韓国料理店に招待してくれた時の写真です。これはほんとに久しぶりの外食で、妻もとても喜んでいました。画像は娘の携帯なのであまり良くありませんが、良い表情だと思いました。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2012-02-07T22:22:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
ずいぶん長いあいだ留守をしてしまいました。<br />
<br />
突然ですが、妻は死ぬかもしれません。<br />
いま、死の隣で<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%96%B2%E5%8A%B4&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">疲労</a>困憊して喘ぎながら休息しているところです。<br />
<br />
二月三日午前六時五十分に、痙攣の発作を起こして病院に入院しました。診断名は「症候性てんかん」。二次性てんかんともいうそうです。<br />
血圧が低下し、肺炎も併発して危篤状態となりました。また、六日に軽い脳梗塞を起こしました。一見はおだやかに眠っているようですが、体の余力が残っていないようなのです。肺炎になっても熱を出して抵抗する元気もないということのようです。<br />
<br />
今日七日、救急救命室から脳外科病棟の個室に移りました。出来るだけ時間に制約されずに家族と長くいられるようにという病院側の説明でした。<br />
妻はいままで大きな怪我を何度も乗り越えてきましたが、さすがに今回はあまり元気がありません。てんかんの発作は負担が大きすぎたかもしれません。くも膜下出血後の患者にてんかんの発作がわりあい起きることは最初の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%89%8B%E8%A1%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">手術</a>後の後も聞いていましたが、この時期に起きるとはわかりませんでした。<br />
<br />
すこし予兆があったといえばありました。一月十六日、顔がすこしむくんでいるのとときどき誤嚥があり、また夜の独語が多くなりすこし呂律もおかしいのでいま入院している病院の脳外科に（最初の手術をしたところ）久しぶりに行き、脳のCTや、電解質のバランスなど全部を調べてもらいました。この時の血液検査の結果は、驚くべきもので今回も診てくれている医師が「信じられない、外来に来ているどの患者よりもいいくらいだ。下垂体障害の患者の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ホルモンバランス</a>が投薬もなしに安定するなんてあり得ない」と驚嘆の声を上げたのでした。<br />
<br />
気になった誤嚥に関しては、いつも往診してくれる診療所が専門家を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%B4%BE%E9%81%A3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">派遣</a>してくれて、いろいろテストをしてもらったところ、まったく問題なしで筋肉の量も充分にありまだ若々しいので良く運動するようにとまで言ってくれました。<br />
また、前日には往診があり、妻もにこやかに医師に応対していたのでした。<br />
<br />
むろん希望は捨てていません。ただ、ゆるやかに死の方に歩んでいこうとする妻のそばにこれから出来るだけいようと思います。<br />
<div style="text-align:center;"><img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/111029_190637.jpg" width="340" height="255" border="0" align="" alt="111029_190637.jpg" /></div><br />
<div style="text-align:center;"><span style="font-size:x-small;">昨年の10月24日、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%AD%90%E4%BE%9B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子供</a>たちが還暦の祝いだということで昔よく行った伏見区の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%9F%93%E5%9B%BD&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">韓国</a><a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%96%99%E7%90%86&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">料理</a>店に招待してくれた時の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>です。これはほんとに久しぶりの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%A4%96%E9%A3%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">外食</a>で、妻もとても喜んでいました。画像は娘の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%90%BA%E5%B8%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">携帯</a>なのであまり良くありませんが、良い表情だと思いました。</span></div><a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-27">
<title>古い写真 4 お終い</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-27</link>
<description>今日は入浴の日だった。寒くなったので10月からシャワーだけではすまなくなり、湯船に入ってもらっている。冬の到来を想起させるこんな日は、妻は湯船で温もりを楽しんでいる。入浴用のリフトを設置するか少し考えたが、トラブルも多く、また手伝いをしてくれるベテランのヘルパーさんも、工夫しながらやってみましょうと力づけられてやってみたら案ずるより産むがやすしで、人工関節を入れる前よりもうんと楽に入浴ができるようになった。手順はこうだ。更衣室に車椅子に乗ったままで入り着ているものを脱ぐ。つぎに浴室のシャワーチェアに座らせる。洗髪と身体をヘルパーさんが洗ってくれる。下半身を洗うときは私が正面から妻を抱えて立たせ洗い流す。浴槽にはいるときは浴槽に渡したボードにシャワーチェアから移動してヘルパーさんが浴槽の中から妻を立たせる。すぐにボードを抜いて私が後ろ側から湯船に入り支えながら湯船に浸かる。ヘルパーさんは浴槽から出てタオルを洗ったり片付けをする。その間、私の脚と足を利用して浴室の中で滑らないように安定させる。妻は安心してタオルで顔をふいたり肩に湯をかけたりして楽しむ。出るときは私が浴槽で妻を立たせヘルパーさんがボードを渡してそこに座らせる。それからシャワーチェアに座らせ、椅子のまま移動してタオルを敷いた車椅子に座らせる。それから身体をふいてヘルパーさんと協力しながら服を着せる。頭を乾かすのはヘルパーさんがやってくれる。お風呂から上がった後はリハビリパンツを通常は穿かせる。なぜなら、車椅子に座った状態で着替えがすんでしまうからだ。ところが今日はうっかりリハビリパンツが切れていた。いったん身体をふいて上だけ着替えをすませタオルをしっかりかけて、髪を乾かしてもらいその後ベッドに移動してオムツを着けた。じっと見ていたヘルパーさんから「上手だ！」とほめられて、喜んだ一日であった。古い写真は今回でお終い。だんだんブログを書く調子がつかめてきた。アルバムにきれいに整理されていた写真であったが、記憶にない写真ばかりを選んだ。とはいえ、この時期のことをなにも覚えていないわけではない。写真に撮られた記憶がないだけだ。ここに写っている父や母を見ながら、重なり合ってひとつの記憶となっている両親像から、断片として取り出された父や母と出会った。鮮やかであると同時にすぐに輪郭が滲みはじめてイメージとしての記憶にとけ込んでいこうとする。ここに写っている私はまだ目一..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-10-27T22:55:16+09:00</dc:date>
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今日は入浴の日だった。寒くなったので10月から<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">シャワー</a>だけではすまなくなり、湯船に入ってもらっている。冬の到来を想起させるこんな日は、妻は湯船で温もりを楽しんでいる。入浴用の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">リフト</a>を設置するか少し考えたが、トラブルも多く、また手伝いをしてくれるベテランの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ヘルパー</a>さんも、工夫しながらやってみましょうと力づけられてやってみたら案ずるより産むがやすしで、人工<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%96%A2%E7%AF%80&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">関節</a>を入れる前よりもうんと楽に入浴ができるようになった。<br />
手順はこうだ。更衣室に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%BB%8A%E6%A4%85%E5%AD%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">車椅子</a>に乗ったままで入り着ているものを脱ぐ。つぎに浴室のシャワー<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チェア</a>に座らせる。洗髪と身体をヘルパーさんが洗ってくれる。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E4%B8%8B%E5%8D%8A%E8%BA%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">下半身</a>を洗うときは私が正面から妻を抱えて立たせ洗い流す。浴槽にはいるときは浴槽に渡したボードにシャワーチェアから移動してヘルパーさんが浴槽の中から妻を立たせる。すぐにボードを抜いて私が後ろ側から湯船に入り支えながら湯船に浸かる。ヘルパーさんは浴槽から出てタオルを洗ったり片付けをする。その間、私の脚と足を利用して浴室の中で滑らないように安定させる。妻は安心してタオルで顔をふいたり肩に湯をかけたりして楽しむ。出るときは私が浴槽で妻を立たせヘルパーさんがボードを渡してそこに座らせる。それからシャワーチェアに座らせ、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%A4%85%E5%AD%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">椅子</a>のまま移動してタオルを敷いた車椅子に座らせる。それから身体をふいてヘルパーさんと協力しながら服を着せる。頭を乾かすのはヘルパーさんがやってくれる。<br />
お風呂から上がった後はリハビリパンツを通常は穿かせる。なぜなら、車椅子に座った状態で着替えがすんでしまうからだ。ところが今日はうっかりリハビリパンツが切れていた。いったん身体をふいて上だけ着替えをすませタオルをしっかりかけて、髪を乾かしてもらいその後ベッドに移動して<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">オムツ</a>を着けた。じっと見ていたヘルパーさんから「上手だ！」とほめられて、喜んだ一日であった。<br />
<br />
古い<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>は今回でお終い。だんだんブログを書く調子がつかめてきた。アルバムにきれいに整理されていた写真であったが、記憶にない写真ばかりを選んだ。とはいえ、この時期のことをなにも覚えていないわけではない。写真に撮られた記憶がないだけだ。ここに写っている父や母を見ながら、重なり合ってひとつの記憶となっている両親像から、断片として取り出された父や母と出会った。鮮やかであると同時にすぐに輪郭が滲みはじめてイメージとしての記憶にとけ込んでいこうとする。<br />
ここに写っている私はまだ目一杯両親からの養分を吸収し、自分が関わっていかなければならない外の世界をまだ夢想だにしていないようだ。と書いて理解した。だから覚えていないのだと。<br />
<div style="text-align:center;"><img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/E3838DE382B3E381A8.jpg" width="413" height="529" border="0" align="" alt="ネコと.jpg" /></div><br />
<div style="text-align:center;"><span style="font-size:x-small;">この猫の記憶はない。だが、幼い頃確かにまどろみの中で自分以外の重さ、意外なほど熱い息と早い呼吸を記憶している。病気で早く死んだのだろうか、それとも何かの事故でいなくなったのだろうか。この机の記憶もない。兄の机だろうか。わずかに電気スタンドの記憶が残っている。赤いガラスがカットされていた。紙をあてるときれいな模様になって光を写した。</span></div><img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/E6AF8DE381A8.jpg" width="590" height="404" border="0" align="" alt="母と.jpg" /><span style="font-size:x-small;">この写真の母はずいぶん印象と違っている。こんなに角張っていなかった。ただよく見ると私の頭の上に顎を乗せているようだ。母に対してこんなに無防備に抱かれていた自分もあったのかとみょうに感慨深い。基本的には甘えんぼだった。そういえば小学生の頃はよく甘えるなと怒られていたことを思い出した（苦笑）。</span><a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-23">
<title>古い写真 3</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-23</link>
<description>母親の記憶は年とともに輪郭が曖昧になってきている。母親らしい愛情は別にして身体の弱い人。厳しくてきつい人。風景に馴染まない人といった印象がある。風景に馴染まないというのは、周り近所で世間話をしていてもいつも異和をまとっていた人だったという意味で馴染めない人だったのだろう。厳しくてきついという印象と、母に対する反抗は対になっている。まったく嫌いではなかった。嫌いではなかったけれども反抗せざるを得ない鬱々とした感情を持ち続けた。母はそんな私にずいぶん心を砕いたのではないだろうか。見つかった写真を見て驚いたのは、母にもこんなはつらつとしたときがあったのかということだった。私もこの頃はまだ喘息もない元気な少年だったらしい。母が頭にかぶっているのは私がよくかぶせてもらっていた新聞か何かでつくった兜だそうだ。この時の母は今の私よりも20歳以上も若いわけだが、そうとは見えない。やはり母である人にしか見えない。この辺りが不思議といえば不思議である。昭和29年か30年頃であろう。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-10-23T17:35:27+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
母親の記憶は年とともに輪郭が曖昧になってきている。母親らしい愛情は別にして身体の弱い人。厳しくてきつい人。風景に馴染まない人といった印象がある。風景に馴染まないというのは、周り近所で世間話をしていてもいつも異和をまとっていた人だったという意味で馴染めない人だったのだろう。厳しくてきついという印象と、母に対する反抗は対になっている。まったく嫌いではなかった。嫌いではなかったけれども反抗せざるを得ない鬱々とした感情を持ち続けた。母はそんな私にずいぶん心を砕いたのではないだろうか。<br />
<br />
見つかった<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>を見て驚いたのは、母にもこんなはつらつとしたときがあったのかということだった。私もこの頃はまだ<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%96%98%E6%81%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">喘息</a>もない元気な少年だったらしい。母が頭にかぶっているのは私がよくかぶせてもらっていた<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%96%B0%E8%81%9E&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">新聞</a>か何かでつくった兜だそうだ。<br />
この時の母は今の私よりも20歳以上も若いわけだが、そうとは見えない。やはり母である人にしか見えない。この辺りが不思議といえば不思議である。<div style="text-align:center;"><img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/E9878EE79083E5B091E5B9B4.jpg" width="472" height="464" border="0" align="" alt="野球少年.jpg" /></div><br />
<div style="text-align:center;"><span style="font-size:x-small;">昭和29年か30年頃であろう。</span></div><a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-18">
<title>夏を越して</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-18</link>
<description>大腿骨骨折の手術、リハビリ病院への転院、退院以降のこれまでの経過をざっくりと書いておく。退院したのは５月2日だった。退院後すぐにケアマネさんと相談し、月二回の往診の復活、それから上の入れ歯の不具合を治すために訪問歯科医を紹介してもらって治療をした。上の入れ歯を止めていた一本の歯がほとんど死んでいるということで抜歯と言われたが、退院後まだ時間が経っていないこと、体力が戻ってないことなどから抜歯以外の方法を求めた。医師は歯を歯ぐきから切断して入れ歯を作りかえることにしてくれた。これは良かった。抜歯をすると出血が伴う。妻の体力では回復に時間がかかったと思う。入れ歯はすぐに出来てきて食べる意欲を取り戻してくれた。その後口腔ケアに歯科衛生士さんに毎週来てもらっている。５月下旬に往診を再開してくれた医師は、手術した方の足の膝と麻痺している側の足の拘縮が進んでいることを気にかけ、リハビリを継続した方がよいと判断した。自分が属している病院にすぐ電話をしてくれ、リハビリのやり直しをすることになった。これはありがたかった。妻も嫌がるそぶりを見せることなく、再度入院することをじゅうぶんに理解していたと思う。転落事故の時リハビリで入院した病院だった。６月の中旬、主治医から話があった。拘縮の回復は極めて難しいこと。ただリハビリを本人も嫌がってはいないが、現状維持を目標に長期入院体制をとるかどうか。病院としては受け容れる準備はある。拘縮の原因は、回復期病院でのリハビリが進まなかったことがいちばんの原因であること。その原因となったのは、膀胱炎の投薬に原因があったかもしれないという。感染症のための薬が、認知症患者にあまり良くない傾向があってそれで自分たちもずいぶん痛い目に遭ってきたという。前の病院からの薬を全部検討して、結果的にすべての投薬を止めているという。妻の表情はずいぶん豊かになっていて、少ないながらも自分から話すことも多くなっていた。とりあえず、医師の話を妻に聞かせた。元に戻るのは難しいかもしれないけど、今以上悪くなることはないらしい。そのために長く入院する必要があるらしい。このまま入院するか、家に帰るか。妻は多分理解していて一瞬考え込んだが「やっぱり帰りたい」と言ったので、その足で主治医のところに行き家に連れて帰ると告げた。医師から、家での屈伸とかストレッチ方法を教えてもらい、一日に朝・夕二回はその運動をすることと言われた。それをやっ..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-10-18T01:48:54+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
大腿骨骨折の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%89%8B%E8%A1%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">手術</a>、リハビリ<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>への転院、退院以降のこれまでの経過をざっくりと書いておく。退院したのは５月2日だった。退院後すぐにケアマネさんと相談し、月二回の往診の復活、それから上の入れ歯の不具合を治すために訪問歯科医を紹介してもらって<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%B2%BB%E7%99%82&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">治療</a>をした。上の入れ歯を止めていた一本の歯がほとんど死んでいるということで抜歯と言われたが、退院後まだ時間が経っていないこと、体力が戻ってないことなどから抜歯以外の方法を求めた。医師は歯を歯ぐきから切断して入れ歯を作りかえることにしてくれた。これは良かった。抜歯をすると出血が伴う。妻の体力では回復に時間がかかったと思う。入れ歯はすぐに出来てきて<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">食べる</a>意欲を取り戻してくれた。その後口腔ケアに歯科衛生士さんに毎週来てもらっている。<br />
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５月下旬に往診を再開してくれた医師は、手術した方の足の膝と麻痺している側の足の拘縮が進んでいることを気にかけ、リハビリを継続した方がよいと判断した。自分が属している病院にすぐ電話をしてくれ、リハビリのやり直しをすることになった。これはありがたかった。妻も嫌がるそぶりを見せることなく、再度入院することをじゅうぶんに理解していたと思う。転落事故の時リハビリで入院した病院だった。<br />
６月の中旬、主治医から話があった。拘縮の回復は極めて難しいこと。ただリハビリを本人も嫌がってはいないが、現状維持を目標に長期入院体制をとるかどうか。病院としては受け容れる準備はある。拘縮の原因は、回復期病院でのリハビリが進まなかったことがいちばんの原因であること。その原因となったのは、膀胱炎の投薬に原因があったかもしれないという。感染症のための薬が、認知症患者にあまり良くない傾向があってそれで自分たちもずいぶん痛い目に遭ってきたという。前の病院からの薬を全部検討して、結果的にすべての投薬を止めているという。妻の表情はずいぶん豊かになっていて、少ないながらも自分から話すことも多くなっていた。とりあえず、医師の話を妻に聞かせた。元に戻るのは難しいかもしれないけど、今以上悪くなることはないらしい。そのために長く入院する必要があるらしい。このまま入院するか、家に帰るか。妻は多分理解していて一瞬考え込んだが「やっぱり帰りたい」と言ったので、その足で主治医のところに行き家に連れて帰ると告げた。医師から、家での屈伸とか<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ストレッチ</a>方法を教えてもらい、一日に朝・夕二回はその運動をすることと言われた。それをやっていれば極端に拘縮が進むことはないとも言われた。結局入院期間は４週間だった。<br />
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夏の対策は万全を期した。節電の呼びかけはあったものの冷房は２４時間態勢をとった。脱水も熱中症も、電解質のバランスも崩すことなく夏を越した。一度だけトラブルがあった。ある日<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">オムツ</a>を替えると出血の後があった。オムツを替えた後、娘が帰ってくるのを待って見てもらうことにした。するとさらに明らかにかなりの量の出血があった。すぐに救急車を呼び病院に連れて行った。膀胱炎だった。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>を見せてもらうと、炎症部分が剥がれ落ちるように出血したとのこと。だが、心配することはなく出血が止まれば治るということだった。二三日出血が続いたが、治まった。この出血騒ぎにはそうとう動揺させられたが、妻にとっては抱えていた病から離脱するきっかけとなった。<br />
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今年もようやく夏を越した。やれやれと思う。順調だった。食事も自分で上手に箸を使って食べられるようになった。ときにはっきりとした口調で話す時もあり、驚かされることもある。朝<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ベッド</a>から起こすと決まって嬉しそうに笑う。夜寝ないで<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%BB%8A%E6%A4%85%E5%AD%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">車椅子</a>に座るとすぐに寝始めるのは玉にきずだが。<br />
<img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/DSC_0055.jpg" width="340" height="513" border="0" align="" alt="DSC_0055.jpg" /><br />
<span style="font-size:x-small;">今年の夏の記憶に。障子が同じ高さで破れているのは車椅子のせい。キュウリがずいぶんたくさん収穫できた。</span><br />
<img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/DSC_0037.jpg" width="709" height="470" border="0" align="" alt="DSC_0037.jpg" /><br />
<span style="font-size:x-small;">出血の影響で少し元気がなかった今年の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">誕生日</a>。で、ケーキを今年はチーズケーキにしてみたらこれがおいしくてビックリ。自分の誕生日にもこのケーキにしてもらった(^^ゞ</span><a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-13">
<title>古い写真 2</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-13</link>
<description>スクーターの前に乗せられて風を切りながら走った記憶はある。その記憶は、あまり快適な感覚とは結びついてない。ほとんどが病院に連れて行かれるときだったからだ。いつからそうなったのかわからないが、喘息だった。発作が起きると夜昼問わず病院に行く。お尻にペニシリンを打たれる。すると決まって猛烈な吐き気に襲われて病院の外の溝に戻す。そしてぐったりしたままスクーターのハンドルにしがみつく。これが父とスクーターにまつわる記憶のほとんどである。だから、オートバイに興味を持つことはずっとなかった。中学生になって喘息から解放された頃、父はスクーターからカブに乗り換えていた。台風が近づく前の断続的な雨や風が吹く深夜、こっそりカブを出して何度か海岸線を走った。オートバイに乗ってみたい欲求よりも、むしろ背徳への傾きだった。高校生の頃父が出張の時、通学バスに乗り遅れた。学校に遅れないための唯一の方法はカブで学校まで行くことだった。どうしてそこまで遅れないようにしようと考えたのか今ではわからない。隣町を過ぎた頃、後ろから追いかけてくるバイクがバックミラーに見えた。近づいてくるとアクセルを開け引き離したりしつつ快適なツーリングを続けた。20キロ先の学校の正門前でカブから下りたとき、後ろからずっとついてきていたバイクが前に止まった。警官だった。私はその場で捕まり学校を停学になった。まったく馬鹿げた思い出である。父は呆れて何も言わなかった。その頃は入学時に寮に入っていたが事件を起こして退寮させられていた。私は学年最初の落ちこぼれであり、すでにいっぱしの不良になっていたのだった。写真は昭和27か8年。二歳頃だろうか。写真を撮られるのは嫌いだった。太陽がまぶしすぎるのだ。外で撮られた写真のほとんどはいつもこうやって眉間にしわをよせている。露骨に泣きそうな顔もある。とにかく写真は嫌いだった。父が乗っていたスクーターの機種がわからない。父は三十七、八歳ぐらい。今の自分よりはるかに若い父の姿を見てなにか突き上げてくるものがある。涙腺が弛むとかそういう類の感情ではない、なにかがである。うまく言えない。今回はよけいなことを書き加えないでこのままアップすることにする。妻の様子は次回にまとめてということで。元気です。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-10-13T09:49:28+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
スクーターの前に乗せられて風を切りながら走った記憶はある。その記憶は、あまり快適な感覚とは結びついてない。ほとんどが<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>に連れて行かれるときだったからだ。いつからそうなったのかわからないが、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%96%98%E6%81%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">喘息</a>だった。発作が起きると夜昼問わず病院に行く。お尻に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%9A%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ペニシリン</a>を打たれる。すると決まって猛烈な吐き気に襲われて病院の外の溝に戻す。そしてぐったりしたままスクーターのハンドルにしがみつく。これが父とスクーターにまつわる記憶のほとんどである。だから、オートバイに興味を持つことはずっとなかった。<br />
中学生になって喘息から解放された頃、父はスクーターからカブに乗り換えていた。台風が近づく前の断続的な雨や風が吹く深夜、こっそりカブを出して何度か海岸線を走った。オートバイに乗ってみたい欲求よりも、むしろ背徳への傾きだった。<br />
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<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%AB%98%E6%A0%A1%E7%94%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">高校生</a>の頃父が<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%87%BA%E5%BC%B5&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">出張</a>の時、通学バスに乗り遅れた。学校に遅れないための唯一の方法はカブで学校まで行くことだった。どうしてそこまで遅れないようにしようと考えたのか今ではわからない。隣町を過ぎた頃、後ろから追いかけてくる<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">バイク</a>がバックミラーに見えた。近づいてくるとアクセルを開け引き離したりしつつ快適な<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ツーリング</a>を続けた。20キロ先の学校の正門前でカブから下りたとき、後ろからずっとついてきていたバイクが前に止まった。警官だった。私はその場で捕まり学校を停学になった。まったく馬鹿げた<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">思い出</a>である。父は呆れて何も言わなかった。その頃は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%85%A5%E5%AD%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">入学</a>時に寮に入っていたが事件を起こして退寮させられていた。私は学年最初の落ちこぼれであり、すでにいっぱしの不良になっていたのだった。<br><br />
<div style="text-align:center;"><img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/E788B6E381A8.jpg" width="413" height="408" border="0" align="" alt="父と.jpg" />
</div><br><a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>は昭和27か8年。二歳頃だろうか。写真を撮られるのは嫌いだった。太陽がまぶしすぎるのだ。外で撮られた写真のほとんどはいつもこうやって眉間にしわをよせている。露骨に泣きそうな顔もある。とにかく写真は嫌いだった。父が乗っていたスクーターの機種がわからない。父は三十七、八歳ぐらい。今の自分よりはるかに若い父の姿を見てなにか突き上げてくるものがある。涙腺が弛むとかそういう類の感情ではない、なにかがである。うまく言えない。<br />
<br />
今回はよけいなことを書き加えないでこのままアップすることにする。妻の様子は次回にまとめてということで。元気です。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-07">
<title>べつに感傷的になっているわけではありませんー古い写真1</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-07</link>
<description>祖母、父、叔父が息を引き取った私の実家とも言える神戸市にあった小さな家を処分して更地にして去年地主に返した。という話は書いたかもしれない。こぢんまりとしていたが庭もあり、小さな家にふさわしい小さな門がある家だった。戦前に土地を借りて家を建てたものだった。すぐ近所に賑やかな市場もあり、妻が元気だったらそちらに引っ越しても良いと思える環境だったが、古い上に震災の影響もありほぼ全面的に手を入れなくてはならなかった。初めて神戸に行ったのは小学校に上がる前だったかもしれないが記憶に残っているのは、小学校五年生の頃の夏休みだったと思う。父に連れられて甲浦（かんのうら）からフェリーに乗り一晩かけて神戸にいった。神戸の街のきらびやかさは一種の衝撃だった。それまで一番遠くまでいったのは、小学生の頃に通っていたそろばんとお習字の塾から南国にあった手結（てい）の海水浴場に連れられて行ったのがいちばんの遠出だった。私の町から安芸市に行くまで、県道は舗装もされていないし、コンクリートの建物がなかった。安芸市にはいると「デパート前」というバス停があり、「デパート」という何とも言えぬ開明的な響きに一緒に行った連中とバスの中で歓声を上げたものだった。奈半利から見て安芸市はまさに開けた「お町」であった。それでも今から思うと安芸市のデパートはくすぼけた緑色の貧相な三階建ての建物だったし、それ以外にビルのような建物はなかった。安芸市を抜けると自分の町と同じような家並みがポツポツある程度だったのだ。神戸市の街並みの光景、その衝撃足るや察していただきたい。しかし、神戸での最大の衝撃は「鯨カツ」に尽きる。鯨は臭いがあって嫌いだった。甘辛く炊いても、焼いても煮ても、どうにも食べたくない食べもののひとつだった。遊んでくれた従兄弟が市場に連れて行ってくれ、揚げ物やさんで何気に鯨カツを買って渡してくれた。新聞紙に包まれた熱々の鯨カツに店頭に置いてあるソースをかけて食べたときのあのおいしさは忘れられない。鯨と聞いてさらに驚いた。それから神戸の家にいる間、店屋物を嫌う祖母の目を盗んでは小遣いを握りしめて市場にいき鯨カツを買って食べた。夕飯を食べられなくなって怖い祖母によく睨まれた。叔父が亡くなった後、建物の相続をした私は友人の建築家に調べてもらったら、改築に最低でも800万円で本格的に直すと1300万円以上はかかると言われた。友人は直して貸すという可能性も含めて親切に..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-10-07T03:32:38+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
祖母、父、叔父が息を引き取った私の実家とも言える<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%A5%9E%E6%88%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">神戸</a>市にあった小さな家を処分して更地にして去年地主に返した。という話は書いたかもしれない。こぢんまりとしていたが庭もあり、小さな家にふさわしい小さな門がある家だった。戦前に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%9C%9F%E5%9C%B0&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">土地</a>を借りて家を建てたものだった。すぐ近所に賑やかな市場もあり、妻が元気だったらそちらに引っ越しても良いと思える環境だったが、古い上に震災の影響もありほぼ全面的に手を入れなくてはならなかった。<br />
初めて神戸に行ったのは<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">小学校</a>に上がる前だったかもしれないが記憶に残っているのは、小学校五年生の頃の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%A4%8F%E4%BC%91%E3%81%BF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">夏休み</a>だったと思う。父に連れられて甲浦（かんのうら）からフェリーに乗り一晩かけて神戸にいった。神戸の街のきらびやかさは一種の衝撃だった。それまで一番遠くまでいったのは、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%94%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">小学生</a>の頃に通っていたそろばんとお習字の塾から南国にあった手結（てい）の海水浴場に連れられて行ったのがいちばんの遠出だった。<br />
私の町から安芸市に行くまで、県道は舗装もされていないし、コンクリートの建物がなかった。安芸市にはいると「<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">デパート</a>前」というバス停があり、「デパート」という何とも言えぬ開明的な響きに一緒に行った連中とバスの中で歓声を上げたものだった。奈半利から見て安芸市はまさに開けた「お町」であった。それでも今から思うと安芸市のデパートはくすぼけた緑色の貧相な三階建ての建物だったし、それ以外にビルのような建物はなかった。安芸市を抜けると自分の町と同じような家並みがポツポツある程度だったのだ。神戸市の街並みの光景、その衝撃足るや察していただきたい。<br />
しかし、神戸での最大の衝撃は「鯨カツ」に尽きる。鯨は臭いがあって嫌いだった。甘辛く炊いても、焼いても煮ても、どうにも食べたくない食べもののひとつだった。遊んでくれた従兄弟が市場に連れて行ってくれ、揚げ物やさんで何気に鯨カツを買って渡してくれた。新聞紙に包まれた熱々の鯨カツに店頭に置いてあるソースをかけて食べたときのあのおいしさは忘れられない。鯨と聞いてさらに驚いた。それから神戸の家にいる間、店屋物を嫌う祖母の目を盗んでは小遣いを握りしめて市場にいき鯨カツを買って食べた。夕飯を食べられなくなって怖い祖母によく睨まれた。<br />
叔父が亡くなった後、建物の相続をした私は友人の建築家に調べてもらったら、改築に最低でも800万円で本格的に直すと1300万円以上はかかると言われた。友人は直して貸すという可能性も含めて親切にもその地域の賃貸相場を調べてくれ、改築資金を借りた場合の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%88%A9%E6%81%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">利息</a>計算とか月々の返済、家賃収入などエクセルでシミュレーションを出してくれた。また、以前<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%A4%A7%E9%98%AA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大阪</a>の税務署に勤めていて不動産に詳しい友人も加わって検討した結果手をつけないのが一番良いということになった。<br />
だが、ずっと放置して置くわけにもいかない。戦前からの借地だけに地代は安かったがそれでも毎月9000円を払い続けなくてはならない。家が荒れると近隣から苦情も出てくる。更地にして地主に返すとなると300万円の費用がかかるという。もと税務所勤めの友人が、建物の権利を放棄して、代わりに更地にする費用を地主負担にしてもらう交渉を時間をかけてやれと<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">アドバイス</a>してくれた。叔父が亡くなってから10年めにようやく地主との交渉がなったわけだ。<br />
家を明け渡す前、最後の片づけに行った。おそらく父がもっていたのだろう古い<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%86%99%E7%9C%9F&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">写真</a>が何点か出てきた。私の記憶にない写真だった。<br />
見つけた写真を小出しにしてブログの長い空白を埋めていこうという魂胆である。<br />
<div style="text-align:center;"><img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/E8B5A4E381A1E38283E38293.jpg" width="407" height="541" border="0" align="" alt="赤ちゃん.jpg" /></div><span style="font-size:x-small;"><div style="text-align:center;">※（ミッチーさんのご指摘により曖昧な書き方を訂正します）お座りが出来るようになった頃の写真らしい。</div></span><br />
<br />
☆10月5日で、妻が倒れてから10年目を迎えました。あっという間でした。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-02">
<title>満六十歳になりました</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-10-02</link>
<description>今日で還暦を迎えた。自分でも説明できない充足感があることに驚いている。父親の年を超えた事実がひとつの大きな要素でもある。父は満６０歳になるほんとの直前にこの世を去った。自分がここまで生きられるとは思わなかったわけではない。ただ、漫然と年を重ねることに対する人並みの抵抗感はあったが、自分がこの十年を生きてきた間にもっとも変節を強いられたものがこの抵抗感であった。転向といってよいかもしれない。そして、この転向とよべるかもしれない変化をもたらしたものは疑いもなく妻との生活である。なにかに急かされるように生き急ぐことが無意味なことであったとは思わない。だがそのことに過度な価値を見出すことはない。感傷もない。すこしだけ理解できたこともある。それは歴史的な存在として私（たち）は生きているということだ。ただあるがままの自然に埋没した自然そのものの個人として生きているわけではない。自然もまた歴史的な自然として対象化された自然としてある。だから、自然界の自然のままの生死に依拠する死生観に異議を申し立てる根拠はここにある。60年間生きてきてその程度かと言われたら、そうだとしか言いようがない。復路は回帰線を避けながら歴史的な自然の順序にしたがえるように、社会の順序から徐々にはぐれながら無数の無名のひとりとしてやがて歩けなくなるまで歩を進めていくだけである。妻が歩けなくってからずっと懸案だった引っ越しがようやくかないそうだ。まだ契約をしていないからどう転ぶかわからないが、ほぼ決まるだろう。息子が仕事をしている工房の路地に並ぶ崩れ落ちそうな長屋がある。ほんとうに崩れ落ちそうで、壁の隙間から外が見えるようなところだが大家の方から借りて欲しいと持ちかけられた。場所的には願ったりかなったりのところだ。一軒ではあまりに狭すぎて無理だが二軒を一軒として借りられることになった。工房は目と鼻の先だし、なによりこの界隈にとどまれることが大きい。改装工事があるので早くて来年の四月だろうと思うが問題がひとつ片づいた。気が向けば車椅子を押しながら買い物にも散歩にも行ける環境が手に入る。ブログに復帰すると書いたのに過去最長の空白を招いた。その間ツイッタやG+などでネットに触れてきた。満たされる欲望もあれば砂をかむような空虚にも向き合ってきた。誰がなにを言うのか、なにを欲しているのかあらかじめわかっていたなどとは言えない。ただ、繰り返される言動のうねりの中で、なに..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-10-02T15:45:25+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
今日で還暦を迎えた。自分でも説明できない充足感があることに驚いている。父親の年を超えた事実がひとつの大きな要素でもある。父は満６０歳になるほんとの直前にこの世を去った。自分がここまで生きられるとは思わなかったわけではない。ただ、漫然と年を重ねることに対する人並みの抵抗感はあったが、自分がこの十年を生きてきた間にもっとも変節を強いられたものがこの抵抗感であった。転向といってよいかもしれない。そして、この転向とよべるかもしれない変化をもたらしたものは疑いもなく妻との生活である。<br />
<br />
なにかに急かされるように生き急ぐことが無意味なことであったとは思わない。だがそのことに過度な価値を見出すことはない。感傷もない。すこしだけ理解できたこともある。それは歴史的な存在として私（たち）は生きているということだ。ただあるがままの自然に埋没した自然そのものの個人として生きているわけではない。自然もまた歴史的な自然として対象化された自然としてある。だから、自然界の自然のままの生死に依拠する死生観に異議を申し立てる根拠はここにある。60年間生きてきてその程度かと言われたら、そうだとしか言いようがない。復路は回帰線を避けながら歴史的な自然の順序にしたがえるように、社会の順序から徐々にはぐれながら無数の無名のひとりとしてやがて歩けなくなるまで歩を進めていくだけである。<br />
<br />
妻が歩けなくってからずっと懸案だった引っ越しがようやくかないそうだ。まだ契約をしていないからどう転ぶかわからないが、ほぼ決まるだろう。息子が仕事をしている工房の路地に並ぶ崩れ落ちそうな長屋がある。ほんとうに崩れ落ちそうで、壁の隙間から外が見えるようなところだが<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%A4%A7%E5%AE%B6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">大家</a>の方から借りて欲しいと持ちかけられた。場所的には願ったりかなったりのところだ。一軒ではあまりに狭すぎて無理だが二軒を一軒として借りられることになった。工房は目と鼻の先だし、なによりこの界隈にとどまれることが大きい。改装工事があるので早くて来年の四月だろうと思うが問題がひとつ片づいた。気が向けば<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%BB%8A%E6%A4%85%E5%AD%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">車椅子</a>を押しながら<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%B2%B7%E3%81%84%E7%89%A9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">買い物</a>にも散歩にも行ける環境が手に入る。<br />
<br />
ブログに復帰すると書いたのに過去最長の空白を招いた。その間ツイッタやG+などでネットに触れてきた。満たされる欲望もあれば砂をかむような空虚にも向き合ってきた。誰がなにを言うのか、なにを欲しているのかあらかじめわかっていたなどとは言えない。ただ、繰り返される言動のうねりの中で、なにか大きな変動が起きようとしている気がする。だが、哲学者小泉義之がいう「恐怖の下で平等で対等になった人々」たちが呼びかける共同性への拒否権だけは表明しておきたい。恐怖や悲惨、そして安心・安全で未来を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%8B%85%E4%BF%9D&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">担保</a>することも過去を留保することもしない。「今日」の問題に向き合うのみだ。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-05-02">
<title>退院しました</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-05-02</link>
<description>今日5月1日、退院した。家に帰ると妻は微笑みながらベッドに横になるとそのまま眠りについた。傾斜していた踏み台が元に戻ったかのような充足感を感じて肩の力が抜けた。いずれすぐにどちらかの方向に向けて傾くであろうが、復元力があるかぎりその場所に立っていられればよい。と、思えた。入院していた妻が言葉と表情を失ったのは三週間を過ぎた頃だった。病室に行っても表情を変えない。手には痛々しい点滴の後が増えていった。低ナトリウム血症だった。心配した理学療法士や作業療法士がなんどか部屋にやってきた。ほとんど伝達ができずにリハビリが進まないという。4月15日の相談会のときに月末に退院したい意向を伝えたのは、妻の状態を把握してもらえればまた意欲的にリハビリに復帰できて少しは成果が上がるのではないかと思ったのだが、むしろ悪化する一方だった。食事の塩分は6ｇと指定されており、さらに投薬として塩化ナトリウムが加えられた。持ち込み禁止といわれて食べものを持ち込むことはできなかったがノリの佃煮やふりかけを持ってくるようにいわれた。4月25日月曜日。ようやく顔に精気が戻った。だが表情もなく一向に言葉を発しない。連れて帰れる状態ではなかった。食事は相談会のときにミキサー食をやめて普通食を食べさせてくれるように頼んだがおかゆに変わっただけだった。入れ歯は入れてくれなかった。26日夕食後病院の玄関にハナミズキが咲いているので見に行った。気分転換になるかと思ったからだ。この病院は病院の外に出るのは禁止だった。最初の頃詰め所に散歩の許可をもらいに行くと駄目だと言われた。前のリハビリ病院はどんどん連れて行ってくれといわれたのに。だから、無視して病院の外に出た。暗くなったので玄関脇にある談話スペースでコーヒーを飲みながらずっと話しかけているとかすかに口を動かしているのに気がついた。口元に耳を近づけるとやっと聞こえるような声で話をしようとしているのだった。「朝、琵琶湖に行ってきた」それはよかった。今日は気持ちよかったんじゃない？「気持ちよかったよ」なにで行ったの？「タクシーで」そりゃ贅沢やないか。妻は少ししまったというような顔をしてかすかに笑った。今何がしたい？「歌が歌いたい」これはやはり退院させなければと思った。4月27日にやはり当初の予定通り退院させるというと少しの準備があるというので今日の退院になったわけだ。ひとりだけ見送ってくれた看護婦さんに妻は瞬間芸の笑..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-05-02T02:05:52+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
今日5月1日、退院した。<br />
家に帰ると妻は微笑みながら<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%89&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ベッド</a>に横になるとそのまま眠りについた。傾斜していた踏み台が元に戻ったかのような充足感を感じて肩の力が抜けた。<br />
いずれすぐにどちらかの方向に向けて傾くであろうが、復元力があるかぎりその場所に立っていられればよい。と、思えた。<br />
<br />
入院していた妻が言葉と表情を失ったのは三週間を過ぎた頃だった。病室に行っても表情を変えない。手には痛々しい点滴の後が増えていった。<br />
低ナトリウム血症だった。心配した理学療法士や作業療法士がなんどか部屋にやってきた。ほとんど伝達ができずにリハビリが進まないという。<br />
4月15日の相談会のときに月末に退院したい意向を伝えたのは、妻の状態を把握してもらえればまた意欲的にリハビリに復帰できて少しは成果が上がるのではないかと思ったのだが、むしろ悪化する一方だった。食事の塩分は6ｇと指定されており、さらに投薬として塩化ナトリウムが加えられた。持ち込み禁止といわれて食べものを持ち込むことはできなかったがノリの佃煮やふりかけを持ってくるようにいわれた。<br />
<br />
4月25日月曜日。ようやく顔に精気が戻った。だが表情もなく一向に言葉を発しない。連れて帰れる状態ではなかった。食事は相談会のときにミキサー食をやめて普通食を食べさせてくれるように頼んだがおかゆに変わっただけだった。入れ歯は入れてくれなかった。<br />
26日夕食後<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>の玄関にハナミズキが咲いているので見に行った。気分転換になるかと思ったからだ。この病院は病院の外に出るのは禁止だった。最初の頃詰め所に散歩の許可をもらいに行くと駄目だと言われた。前のリハビリ病院はどんどん連れて行ってくれといわれたのに。だから、無視して病院の外に出た。暗くなったので玄関脇にある談話スペースでコーヒーを飲みながらずっと話しかけているとかすかに口を動かしているのに気がついた。口元に耳を近づけるとやっと聞こえるような声で話をしようとしているのだった。<br />
「朝、琵琶湖に行ってきた」<br />
それはよかった。今日は気持ちよかったんじゃない？<br />
「気持ちよかったよ」<br />
なにで行ったの？<br />
「タクシーで」<br />
そりゃ贅沢やないか。妻は少ししまったというような顔をしてかすかに笑った。<br />
今何がしたい？<br />
「歌が歌いたい」<br />
これはやはり退院させなければと思った。<br />
<br />
4月27日にやはり当初の予定通り退院させるというと少しの準備があるというので今日の退院になったわけだ。ひとりだけ見送ってくれた<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%9C%8B%E8%AD%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">看護</a>婦さんに妻は瞬間芸の笑顔を見せ、病院を後にした。<br />
家について<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">オムツ</a>を見ると尿取りパッドを二枚重ねてあった。尾てい骨の上部に褥瘡があった。薬として塩化ナトリウム（塩）が19日分袋に入っていた。まあこの病院では妻のような認知症患者に対する<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%82%A6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ノウハウ</a>がなかったのだろう。自分で入れ歯が入れられなければつけてはもらえない。寝たきりにならないために厳しく管理され、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%BB%8A%E6%A4%85%E5%AD%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">車椅子</a>に前のめりになって倒れそうになっていてもベッドには横にさせてもらえない。スパルタである。妻はきっと抵抗することに決めた。だから、話さない。相手の言うことも聞かない。置かれた状態を耐える。空想の中で自由に琵琶湖やかつて自分が行ったことがあるところを追いかけていたのだろう。と、思った。<br />
<br />
退院祝いは<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%87%AA%E5%AE%B6%E8%A3%BD&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">自家製</a>ちらし<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%AF%BF%E5%8F%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">寿司</a>に自家製にぎり寿司のお寿司オンパレード。それにお刺身。夕方ベッドから食堂に移動するとにこやかに自分でコップの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ビール</a>を口に運び一口だけ飲んで、それからたくさん食べた。まだ大きな声は出せないが耳を近づけなくても聞こえる声で<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%AD%90%E4%BE%9B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子供</a>達と話をした。そして10時過ぎにベッドに行き、横になった途端に寝息を立て始めた。<br />
これからまた、いつもの日々が始まる。いずれどちらも朽ち果てる。そのためにまたいつもの日々が始まる。何度も傾くだろうが、傾きを感じられる踏み台に立っていられればそれでよい。<br />
<img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/DSC_0002.JPG" width="541" height="359" border="0" align="" alt="DSC_0002.JPG" /><br />
<span style="font-size:x-small;">※約二ヶ月半ぶりに一家団らんの夕食</span><a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-04-18">
<title>桜が終わる。</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-04-18</link>
<description>桜の花が咲き、そしてどんどん散っていく。いつもと変わりない営みがやはり毎年初めて出会うかのように繰り返されていく。千年に一度の大地震もその変わりない営みのひとつに過ぎないとわかっていても世界を容易に変えてしまう。こういうときだからこそ、私は「日本は」というあらゆる議論から耳を塞いでいる。望むのはただひとつ、被災された方々のひとりひとりの要望が最大限満たされることだ。すでに町や市の行政単位でも被災した住民と深い亀裂が覗いていることだろうことは想像に難くない。ましてや県、国となるとほとんど個々の要望など消し飛んでしまう。絶望的な願いだが、この関係を逆転して被災した住民、地域住民に従属した順序で村や町、市や県、そして国の行政においてあらゆる対策が講じられることを願う。原発事故については、とにかく早く危機的な事態が収拾されることを望んでいる。そして現場で全力を挙げて対策をしている人たちに休息が訪れてくれることを心から望んで止まない。その一方で少し唖然としたことがある。それは炉心溶融により水素爆発を起こした原子炉に自衛隊、消防庁、警察庁が放水車を集めて決死隊のように原子炉に放水している報に接したときである。私は正直言うと、こうした事態に備えて電力会社もしくは国に（それは自衛隊でも消防庁でもよいのだが）原子炉専門の事故対応部隊が当然存在しているものと信じて疑っていなかった。原子炉の事故は国内において今回が初めてではなく、かつ深刻な事故はスリーマイルやチェルノブイリで経験しており過去ニュースやドキュメントなどでそういう部隊が編成されたり、活動しているのを見ていたからで、日本でもそれが当たり前にあるものと思っていたのに、そういう備えがまったく存在していなかったことに唖然としたのだ。そうした備えがあったとしても現在までの事態の推移を止められなかったかもしれない。そうだとしたら原発は運用されるべきではない。原子力発電が駄目という議論以前にこうした事業の推進、建設、運営の問題が日本社会の構造的な問題として鋭く露出している。この裂け目をヒステリックな恐怖や政治的なプロパガンダで塞ぐのではなくもっともっと抉られなければいけない。内閣を罵倒したり、人生の達観を披瀝することでこの問題を覆い隠そうとしたり卑小化してはならないということは私でもわかる。安全であれば原発を拒否しないという非政治的な人々の心情を包括した、政党や大衆運動家が先導する平和..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-04-18T22:12:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
桜の花が咲き、そしてどんどん散っていく。いつもと変わりない営みがやはり毎年初めて出会うかのように繰り返されていく。千年に一度の大地震もその変わりない営みのひとつに過ぎないとわかっていても世界を容易に変えてしまう。こういうときだからこそ、私は「日本は」というあらゆる議論から耳を塞いでいる。望むのはただひとつ、被災された方々のひとりひとりの要望が最大限満たされることだ。すでに町や市の行政単位でも被災した住民と深い亀裂が覗いていることだろうことは想像に難くない。ましてや県、国となるとほとんど個々の要望など消し飛んでしまう。絶望的な願いだが、この関係を逆転して被災した住民、地域住民に従属した順序で村や町、市や県、そして国の行政においてあらゆる対策が講じられることを願う。<br />
<br />
原発事故については、とにかく早く危機的な事態が収拾されることを望んでいる。そして現場で全力を挙げて対策をしている人たちに休息が訪れてくれることを心から望んで止まない。その一方で少し唖然としたことがある。それは炉心溶融により水素爆発を起こした原子炉に自衛隊、消防庁、警察庁が放水車を集めて決死隊のように原子炉に放水している報に接したときである。<br />
私は正直言うと、こうした事態に備えて電力会社もしくは国に（それは自衛隊でも消防庁でもよいのだが）原子炉専門の事故対応部隊が当然存在しているものと信じて疑っていなかった。原子炉の事故は国内において今回が初めてではなく、かつ深刻な事故はスリー<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">マイル</a>や<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チェルノブイリ</a>で経験しており過去<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ニュース</a>やドキュメントなどでそういう部隊が編成されたり、活動しているのを見ていたからで、日本でもそれが当たり前にあるものと思っていたのに、そういう備えがまったく存在していなかったことに唖然としたのだ。そうした備えがあったとしても現在までの事態の推移を止められなかったかもしれない。そうだとしたら原発は運用されるべきではない。原子力発電が駄目という議論以前にこうした事業の推進、建設、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%81%8B%E5%96%B6&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">運営</a>の問題が日本社会の構造的な問題として鋭く露出している。この裂け目をヒステリックな恐怖や政治的なプロパガンダで塞ぐのではなくもっともっと抉られなければいけない。内閣を罵倒したり、人生の達観を披瀝することでこの問題を覆い隠そうとしたり卑小化してはならないということは私でもわかる。安全であれば原発を拒否しないという非政治的な人々の心情を包括した、政党や大衆運動家が先導する平和運動を超える平和運動、反核・反原発運動を超える反原発運動の可能性を信じたい。<br />
また、もうひとつの感想として原子炉建屋への放水を実行した部隊の隊長のインタビューを<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">テレビ</a>で見た。隊長はまず第一に隊員の安全が優先だったと言い切り、危険で困難な仕事に隊員を就かせたことに対しその家族に謝った。不況が続くなか<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%B4%BE%E9%81%A3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">派遣</a>切りや自殺者の問題、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">高齢者</a>問題と抜け道が見えない閉塞した社会状況の中で、テレビやネットで「日本」というかけ声がうねりとなっている中で、この隊長のインタビューはテレビで煽るだけの馬鹿コメンテーターや、政治家、経営者とはまったく違う健全さを痛ましさとともに示してくれた。捨てたものではないと思った。<br />
<br />
妻がリハビリ<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>に転院して三週間近くが経った。今度の病院はリハビリ部門と病棟との連携があまりよくないように見える。リハビリの成果を聞いて喜び、翌日には病室で体調を崩す姿を見てがっかりする。そんな三週間だった。これが普通の病院なのかもしれない。一年前に入院していた病院はすこし特別だったかもしれないと思うようになった。15日に担当者会議があったが予定の二ヶ月から三ヶ月という期間を待たずに今月末に退院させたい旨を伝え消極的ながら承諾を得た。28日に退院する予定である。<br />
<br />
次に自分のことだが半年ぶりに検査した甲状腺ホルモンの数値が悪くなっていたことがわかり、チラージンという薬を増量した。同時に別の病院で処方されていた抗うつ剤が合わないということで変更された。倍以上に距離が伸びた妻の病院に臆せず自転車で通い続けた。結石による潜血反応がなくなり、石は排出されたのではないかということになった。結果、なんだか体は元気だ。地震以来読むのを中断した<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%95%B7%E7%B7%A8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">長編</a>小説［断崖・ゴンチャロフ／岩波文庫全五巻］を再び開く勇気はまだ無い。最初から読み直す元気もまだ無い。それでも良いと思っている。<br />
<br />
※ちょうどログインするためにメールを<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">チェック</a>したらブログレポートが送られてきていた。今月でブログ開設以来6年経ったと教えてくれた。<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-03-29">
<title>眠りは目覚めの方途を彷徨っている</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2011-03-29</link>
<description>東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0というとてつもない巨大地震であったと伝えられた。地震のスケールはそのまま直接私たちに及ぼす被害の大きさに直結しているという現実をまざまざと見せつけている。比喩ではなく比例だ。詩人は「希望が験されている」と書き、若い作家は「この圧倒的な善意といつくしみの奔流の中で沈黙を続けよ。」と発言し、呼吸器が弱いらしい心理学者は『「圧倒的な善意と慈しみの奔流の中で沈黙」するな。』とつぶやいた。私に語るべき言葉があるか。無い。無い言葉を抱えてじっとテレビ画面を凝視している。東京のあるサラリーマンは電車が止まった通勤途上でのインタビューに「ぜんぜん苦労ではない。これは第二の敗戦です。きっと復興します」と答え雑踏の中に消えていった。彼は「敗戦」という言葉の中に何を見ていたのだろうか。これ以上ない堅固な防潮堤を津波が来る10分前に閉め終わった職員がカメラに向かってさわやかな笑顔で「作業終了です」という姿がオーバーラップする。死者と不明者の数が積算されようとした瞬間に歴史に貼り付けられる。だが現実は圧倒的にその枠からあふれ出て抗う。あふれるのは一人の生であり死なのだ。電気が止められている家がある。ガスも水道も止まっているその家の住人は厳しすぎる寒さに耐えかねて家の中でゴミを燃やし暖をとろうとしてぼや騒ぎを起こした。そこに住人がいることを初めて知った。なんどか見かけた男だった。凍てつく道を靴下もなく歩き、ひとときの温もりを得るためにコンビニに行く。臭気に耐えかねた客の訴えで彼は追いやられる。彼は昨年の秋からずっとまるで被災者のような生活を生き抜いている。何度顔を合わせても彼の用心深い視線が弛むことはない。年が明けたある日、寒さが弛み春を感じる朝、彼はいつも閉じている玄関の戸を開け、明け方の空の明かりを頼りに土間に座り込んで分厚い法律の専門書を見ながら一心にノートをとっていた。ペンを持つ手は真っ黒だった。妻が入院して手術を受けた。大腿骨頸部骨折。動く方の足だった。血小板が少ないまま、万全を期して輸血をしながら人工関節に置き換えた。痛みを訴えたのは2月17日夜だった。テレビを見ていた。9時も過ぎたのでトイレに行こうかと誘った。車椅子から立ち上がろうとしたとき突然痛みを訴えた。じっとしていると痛みはないという。いったんベッドに移動し、横になるとスヤスヤ寝始めた。翌朝ベッドから起きて車椅子に移動するときや..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2011-03-29T03:42:03+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%9D%B1%E5%8C%97&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">東北</a>地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0というとてつもない巨大地震であったと伝えられた。地震のスケールはそのまま直接私たちに及ぼす被害の大きさに直結しているという現実をまざまざと見せつけている。比喩ではなく比例だ。<br />
<br />
詩人は「希望が験されている」と書き、若い作家は「この圧倒的な善意といつくしみの奔流の中で沈黙を続けよ。」と発言し、呼吸器が弱いらしい心理学者は『「圧倒的な善意と慈しみの奔流の中で沈黙」するな。』とつぶやいた。私に語るべき言葉があるか。無い。無い言葉を抱えてじっと<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">テレビ</a>画面を凝視している。<br />
<br />
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%9D%B1%E4%BA%AC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">東京</a>のある<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">サラリーマン</a>は電車が止まった通勤途上でのインタビューに「ぜんぜん苦労ではない。これは第二の敗戦です。きっと復興します」と答え雑踏の中に消えていった。彼は「敗戦」という言葉の中に何を見ていたのだろうか。これ以上ない堅固な防潮堤を津波が来る10分前に閉め終わった職員が<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">カメラ</a>に向かってさわやかな笑顔で「作業終了です」という姿がオーバーラップする。<br />
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死者と不明者の数が積算されようとした瞬間に歴史に貼り付けられる。だが現実は圧倒的にその枠からあふれ出て抗う。あふれるのは一人の生であり死なのだ。<br />
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電気が止められている家がある。ガスも水道も止まっているその家の住人は厳しすぎる寒さに耐えかねて家の中でゴミを燃やし暖をとろうとしてぼや騒ぎを起こした。そこに住人がいることを初めて知った。なんどか見かけた男だった。凍てつく道を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%9D%B4%E4%B8%8B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">靴下</a>もなく歩き、ひとときの温もりを得るためにコンビニに行く。臭気に耐えかねた客の訴えで彼は追いやられる。彼は昨年の秋からずっとまるで被災者のような生活を生き抜いている。何度顔を合わせても彼の用心深い視線が弛むことはない。年が明けたある日、寒さが弛み春を感じる朝、彼はいつも閉じている玄関の戸を開け、明け方の空の明かりを頼りに土間に座り込んで分厚い法律の専門書を見ながら一心にノートをとっていた。ペンを持つ手は真っ黒だった。<br />
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妻が入院して<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%89%8B%E8%A1%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">手術</a>を受けた。大腿骨頸部骨折。動く方の足だった。血小板が少ないまま、万全を期して輸血をしながら人工<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E9%96%A2%E7%AF%80&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">関節</a>に置き換えた。痛みを訴えたのは2月17日夜だった。テレビを見ていた。9時も過ぎたのでトイレに行こうかと誘った。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%BB%8A%E6%A4%85%E5%AD%90&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">車椅子</a>から立ち上がろうとしたとき突然痛みを訴えた。じっとしていると痛みはないという。いったんベッドに移動し、横になるとスヤスヤ寝始めた。翌朝ベッドから起きて車椅子に移動するときやはり痛むらしい。その日はデイケアの日だった。朝食もすませ迎えを待っていたが気になって迎えの人に相談した。それはデイケアが診療所内にあるからだった。しかしデイケアの送迎で診察目的の移送は出来ないと言われた。特別痛がる風もなかったが、仕方がないので救急車を呼んだ。近所の知り合いが驚いて様子を見に来たが妻は担架で階段を下ろされながら笑顔でピースサインを出して救急車に乗り込んだ。結果は重傷だった。思い当たることはある。ずっと前からベッドに移動して横になって足を乗せるときにいつも痛がっていた。また、17日は入浴の日だったが着ているものを脱ぐときに車椅子から転倒した。この転倒は不意打ちだった。だが、たいしたこともなく痛がりもせずにそのまま入浴を済ませた。風呂の中で妻は気持ちよさそうに湯船に浸かっていた。そして夕食も済み、前述したトイレのときに戻る。手術は無事に終わり、順調ならすでにリハビリ病院に転院ということになるはずだったが、地震が起きて以降体調を崩した。まず低ナトリウムになりそれが回復したら高ナトリウムとなった。体調が回復するまで転院は延期となり今に至っている。（30日に転院が決まった）<br />
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昨年の11月頃より、ずっと安定していた糖尿病の数値が上がりはじめた。血糖値はそうでもないがHbA1cが6.1から徐々に上がりはじめ2月には7.3まで上昇した。理由がわからない。医師はここで診てもらった方がよいと紹介状を書いてよこした。精神化・心療内科の病院だった。「鬱傾向」という診断で薬を飲み始めた。<br />
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3月16日。病院の待合室で診断を待っているとき、下腹（したばら）に違和感を感じ始め徐々に鈍い痛みに変わりはじめた。座っていても立っても落ち着かずだんだんひどくなり、冷や汗が出始めた。痛いという声を出すタイミングを逸したままベンチで意識を失った。気がつくとベッドに寝かされていた。気づいたときには痛みは引いていたが、尿検査の結果顕著な潜血反応が見られたので「結石」の疑いが強いということだった。超音波の検査で石は見つからなかったが後日CT検査をすることになった。CTの画像では黒く写る腹腔の空洞の中にちょうど<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%85%8E%E8%87%93&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">腎臓</a>から尿路に近いところに小さな白い点がまるで遊星のようにぽつんと写っていた。診断後、何日か痛みを覚えたがその後まったく消えた。石が排出されたのかまだ留まっているのかわからない。そのかわり、耐え難い睡魔に襲われるようになった。目を閉じると泥沼に吸い込まれるような眠り。仮死を纏うことで救われようとする自分の生があるのではないか。そんなことを考えざるを得ない日々を送っている。<br />
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ブログに復帰します。<a name="more"></a>
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</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2010-12-31">
<title>よいお年を</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2010-12-31</link>
<description>京都は朝から雪が降り始め、もう一面真っ白な雪景色になっています。昨年の大晦日も寒い日でした。粉雪が舞っていました。夜看護婦さんに促されて病院から帰ったことを思い出します。妻が子供に笑顔で応えた日でもありました。なんだかあっという間の一年でした。ふり返ってみると自分が処理しきれない一年間でした。やり過ごすことも引き受けることも、拒否も肯定もできない自分にただ向き合っているだけで過ぎていく日々でした。ひとつ発見したことがあります。そんな時でも、溢れる言葉に満たされているということでした。日常の言葉であり、堅苦しい言葉であり、嘆きの言葉であり、喜び、冗談、刺すような言葉、あらゆる言葉に満たされながら自分の下降をとどめることはできませんでした。もう一人の私がどこかでなにかの身振りを振る舞っているのではなく、それが私そのものでした。ある日の深夜のことです。妻が目覚めているのではないかという気配に眠りから覚めました。はたして妻は目を見開いて闇の向こうを凝視していました。声をかけると身じろぎもせずにこうつぶやいたのです。「くも膜下出血…私のくも膜下出血どうなった？」瞬間、私は感電したような衝撃を受けました。私や子供達が規定してきた時間以外の時間を妻は確実にたしかに繋いでいたのです。妻はよく「ありがとう」というようになりました。私がときに「礼や感謝が欲しいわけじゃない。そんなのは余計だし邪魔だ」とこたえると、妻はクスッと笑います。なんとなく二人はうまくいっているような気がします。新しい年までもう12時間を切りました。私は今しばらくこういう時間が必要なようです。でもそれほど遠くない時期にきっと会いにいきます。みなさん、よいお年を！</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2010-12-31T13:46:01+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E4%BA%AC%E9%83%BD&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">京都</a>は朝から雪が降り始め、もう一面真っ白な雪景色になっています。<br />
昨年の大晦日も寒い日でした。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%B2%89%E9%9B%AA&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">粉雪</a>が舞っていました。<br />
夜<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%9C%8B%E8%AD%B7&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">看護</a>婦さんに促されて<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>から帰ったことを思い出します。<br />
妻が<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%AD%90%E4%BE%9B&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">子供</a>に笑顔で応えた日でもありました。<br />
なんだかあっという間の一年でした。<br />
ふり返ってみると自分が処理しきれない一年間でした。<br />
やり過ごすことも引き受けることも、拒否も肯定もできない自分にただ向き合っているだけで過ぎていく日々でした。<br />
ひとつ発見したことがあります。<br />
そんな時でも、溢れる言葉に満たされているということでした。<br />
日常の言葉であり、堅苦しい言葉であり、嘆きの言葉であり、喜び、冗談、刺すような言葉、あらゆる言葉に満たされながら自分の下降をとどめることはできませんでした。<br />
もう一人の私がどこかでなにかの身振りを振る舞っているのではなく、それが私そのものでした。<br />
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ある日の深夜のことです。<br />
妻が目覚めているのではないかという気配に眠りから覚めました。<br />
はたして妻は目を見開いて闇の向こうを凝視していました。<br />
声をかけると身じろぎもせずにこうつぶやいたのです。「くも膜下出血…私のくも膜下出血どうなった？」<br />
瞬間、私は感電したような衝撃を受けました。私や子供達が規定してきた時間以外の時間を妻は確実にたしかに繋いでいたのです。<br />
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妻はよく「ありがとう」というようになりました。<br />
私がときに「礼や感謝が欲しいわけじゃない。そんなのは余計だし邪魔だ」とこたえると、妻はクスッと笑います。<br />
なんとなく二人はうまくいっているような気がします。<br />
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新しい年までもう12時間を切りました。私は今しばらくこういう時間が必要なようです。<br />
でもそれほど遠くない時期にきっと会いにいきます。<br />
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みなさん、よいお年を！<a name="more"></a>
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</item>
<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2010-12-04">
<title>近況</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2010-12-04</link>
<description>気がつけば一月以上更新をしないばかりか、訪問もしていなかった。ご心配頂いた方々にはお礼とともにお詫びします。一年に一回くらいこういう時期がやってくる。なにもかもが沈殿していくような気分を味わう。世の中が元気になると特にそういう気分に拍車がかかる傾向があるようだ。そんな私の気分とは関係なく、妻の格段に増えた言葉と豊になった感情表現はずぶずぶと沈んでいこうとする私に小枝をさしのべてくれる。あっという間に一年が過ぎようとしている。昨年末からこの一年は厳しい一年だった。胸囲が2センチ弱大きくなった。秋口にTシャツがちょっと窮屈になったので太ったのかと思ったら、そうではなく大きくなっていたのだった。それに気づいた頃、左肘が壊れた。握っても捻っても力を入れても曲げ伸ばししても敏感に反応して痛みを告げる。病院で診てもらったが回復の兆しもない。いわゆるテニス肘というらしく、骨に突起ができて筋肉を刺激しているのだそうだ。生活の変化に適応できたところとできないところが共存しているというわけだ。妻は9月からデイケアを週二回に増やした。以前のように送り出すのに一苦労というようなことはなくなった。いろんな拘りがなくなってすんなり出かけてくれる。それから二日に一回の入浴のうち、週二回ヘルパーさんが手伝いに来てくれている。最初はおそるおそるの入浴だったが、今では一人でもすんなりとまではいかないが、妻も私も慣れてきた。暑い間はシャワーだけだったが、10月からは浴室リフトを設置して浴槽に浸かれるようにもなった。入浴介助のサービスは私が入浴させることが前提で、約一時間ヘルパーさんが来てくれる。それでも体を洗ったり、シャンプーをしてくれるのは全部ヘルパーさんでほんとうに助かっている。脱衣所から浴室への段差越え、下半身を洗う時の立位保持の時、浴槽に入るとき、出るときに浴室に入り手伝ってもらう。リフト操作は私の役目。ヘルパーさんにはとても良くしてもらっている。デイケアの送迎も、二人がかりで階段を下ろしたり上げてくれる。出かける時間が近づき「さあ、あんたのお気に入りの若い子がそろそろ来るよ」と声をかけると妻はニヤリと笑って階段の踊り場にて迎えを待つ。車に乗り出発するときには行ってきますと手を振る。デイケアに出かけた後の時間は自分の時間で、最近はその時間ほとんどぐっすり寝ている。これでずいぶん体が楽になる。やはり普段は睡眠不足が深刻で、デイケアは私の貴重な休..</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2010-12-04T06:52:44+09:00</dc:date>
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気がつけば一月以上更新をしないばかりか、訪問もしていなかった。ご心配頂いた方々にはお礼とともにお詫びします。<br />
一年に一回くらいこういう時期がやってくる。なにもかもが沈殿していくような気分を味わう。世の中が元気になると特にそういう気分に拍車がかかる傾向があるようだ。そんな私の気分とは関係なく、妻の格段に増えた言葉と豊になった感情表現はずぶずぶと沈んでいこうとする私に小枝をさしのべてくれる。<br />
あっという間に一年が過ぎようとしている。昨年末からこの一年は厳しい一年だった。胸囲が2センチ弱大きくなった。秋口に<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=T%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">Tシャツ</a>がちょっと窮屈になったので太ったのかと思ったら、そうではなく大きくなっていたのだった。それに気づいた頃、左肘が壊れた。握っても捻っても力を入れても曲げ伸ばししても敏感に反応して痛みを告げる。<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E7%97%85%E9%99%A2&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">病院</a>で診てもらったが回復の兆しもない。いわゆるテニス肘というらしく、骨に突起ができて筋肉を刺激しているのだそうだ。生活の変化に適応できたところとできないところが共存しているというわけだ。<br />
妻は9月からデイケアを週二回に増やした。以前のように送り出すのに一苦労というようなことはなくなった。いろんな拘りがなくなってすんなり出かけてくれる。それから二日に一回の<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E5%85%A5%E6%B5%B4&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">入浴</a>のうち、週二回<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ヘルパー</a>さんが手伝いに来てくれている。最初はおそるおそるの入浴だったが、今では一人でもすんなりとまではいかないが、妻も私も慣れてきた。暑い間は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">シャワー</a>だけだったが、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=10%E6%9C%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">10月</a>からは浴室<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">リフト</a>を設置して浴槽に浸かれるようにもなった。<br />
入浴介助のサービスは私が入浴させることが前提で、約一時間ヘルパーさんが来てくれる。それでも体を洗ったり、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BC&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">シャンプー</a>をしてくれるのは全部ヘルパーさんでほんとうに助かっている。脱衣所から浴室への段差越え、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E4%B8%8B%E5%8D%8A%E8%BA%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">下半身</a>を洗う時の立位保持の時、浴槽に入るとき、出るときに浴室に入り手伝ってもらう。リフト操作は私の役目。ヘルパーさんにはとても良くしてもらっている。<br />
デイケアの送迎も、二人がかりで階段を下ろしたり上げてくれる。出かける時間が近づき「さあ、あんたの<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%81%8A%E6%B0%97%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8A&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">お気に入り</a>の若い子がそろそろ来るよ」と声をかけると妻はニヤリと笑って階段の踊り場にて迎えを待つ。車に乗り出発するときには行ってきますと手を振る。デイケアに出かけた後の時間は自分の時間で、最近はその時間ほとんどぐっすり寝ている。これでずいぶん体が楽になる。やはり普段は睡眠不足が深刻で、デイケアは私の貴重な休息（睡眠？）時間となっている。<br />
食欲が戻り、退院時はガリガリに痩せていたが、だんだんふくよかな以前の体型に近づきつつある。嬉しい反面、左肘がべそをかきそうになる。<br />
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とりあえず、大ざっぱな近況報告です。元気でやってます。<a name="more"></a>
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<item rdf:about="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12">
<title>小さな紫の花</title>
<link>http://miyata.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12</link>
<description>野放図に枝を伸ばす正体不明の鉢があってとりあえず今まで、つまり妻が倒れてからまる7年、枯らさない程度に水をやってきた。夏になると容赦なく枝を落としてきたが、いったいこの鉢はなんのために置いてあるのかずっと謎だった。今年の梅雨明けの頃、ほとんど枝を落としたのだがなんとなく可哀想になって陽が当たる場所に移してナスやキュウリのついでに水をやるようにした。けなげにもその木は細い枝を少々行儀悪く四方に伸ばしはじめたが切らずにそのまま放置しておいた。今朝のことである。空が少し明るくなり始めた頃、ベランダに出て洗濯物を干しているとき思わず「あっ！」と声が出た。無用な植物だと思っていたその枝先に小さくて可憐な紫の花をつけていたのだった。私は7年もその声を聞こうともしていなかったのだ。</description>
<dc:subject>介護と日常</dc:subject>
<dc:creator>miyata</dc:creator>
<dc:date>2010-10-12T10:05:38+09:00</dc:date>
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野放図に枝を伸ばす正体不明の鉢があってとりあえず今まで、つまり妻が倒れてからまる7年、枯らさない程度に水をやってきた。夏になると容赦なく枝を<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E8%90%BD%E3%81%A8%E3%81%97&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">落とし</a>てきたが、いったいこの鉢はなんのために置いてあるのかずっと謎だった。今年の梅雨明けの頃、ほとんど枝を落としたのだがなんとなく可哀想になって陽が当たる場所に移してナスやキュウリのついでに水をやるようにした。けなげにもその木は細い枝を少々行儀悪く四方に伸ばしはじめたが切らずにそのまま放置しておいた。<br />
今朝のことである。空が少し明るくなり始めた頃、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ベランダ</a>に出て<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=miyata:000209513888&k=%E6%B4%97%E6%BF%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">洗濯</a>物を干しているとき思わず「あっ！」と声が出た。無用な植物だと思っていたその枝先に小さくて可憐な紫の花をつけていたのだった。<br />
私は7年もその声を聞こうともしていなかったのだ。<br />
<img src="http://miyata.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_62b/miyata/DSC_0067.jpg" width="541" height="359" border="0" align="" alt="DSC_0067.jpg" /><a name="more"></a>
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